組織・人事に関わる全ての施策は、日本人の特性や自社の独自性への洞察なしには機能しない。それは、OSが違えば、アプリが動作しないのと同じである。欧米の真似でもない、うまくいっている会社の真似でもない、日本企業において本当に機能する組織・人事の考え方や施策について思索・指南する連載。
ワークシェアは仕事の分かち合いによって、個々の労働時間を削減しながら、全体としての雇用数を拡大しようという策で、失業率の高かったヨーロッパでうまくいった例が多い。日本でも、長時間労働の是正という観点から注目されたことがあった。ただ、確かに一つの仕事を二人でやれば、一人の労働時間は半分くらいになるのだが、同時に賃金も半分になってしまうから、なかなかワークシェアが進まない(だから労働時間が長いままだ)ということになっている。
しかし、あらためて考えてみれば、日本の会社はもともとワークシェアによって成り立っているようなものである。日本は「正社員」として雇用したら原則として解雇できないし、雇用期間の定めもないから、これから先もずっと会社にいる前提になっている。だから、仕事の量が減ったり、組織の形態や会社の業績等がどんなに変化したりしても、所属している人たち全員で仕事を分け合うのが基本である。でなければ、社内失業者(給料を払っているのに仕事がない人)が出てしまうからだ。欧米のように、仕事の質や量に応じて人が調達されるわけではなく、日本では在籍者全員に仕事が常に分け与えられ、場合によっては、無理に作り出してでも全員に仕事が行きわたるようにする。日本企業には、もともとワークシェアの仕組みが組み込まれているのである。
失業率が低い一因はここにあるが、一方で、ではなぜ労働時間が長いのかという疑問が湧いてくる。もともとワークシェアの仕組みが組み込まれているのであれば、雇用が維持されるだけでなく、労働時間も短くてすむはずだ。この疑問は、シェアという言葉の意味を考えてみると解決できる。シェアには、「分けること。分配。分担」という意味と、「共同でもつこと。共有」という意味がある。そして、欧米のワークシェアは前者であり、日本企業に組み込まれているワークシェアは後者なのである。
欧米のワークシェアとは、役割や責任や業務を明確に分担することを意味している。各々の業務が重複せず、また互いの干渉や調整ができる限り少なくなるように、明確に仕事を分け、それぞれがその遂行・達成に責任を負う。一方、日本のワークシェアはfacebookのシェアと同じように、皆で仕事や情報などを共有するという意味合いが強い。一応、分担された役割や業務はあるのだが、それぞれの範囲は重なり合っており、責任の所在もはっきりしない。だから、すり合わせを欠かさず、協調的に進める必要があり、最終的な結果に対する責任も皆で負うことになる。決裁に必要な書類にハンコがズラリと並んだり、会議の出席者がやたらと多かったり、連絡メールのCCにたくさんの人のアドレスが入っていたりするのが、分かりやすい例だ。日本の企業に組み込まれたワークシェアは、分担ではなく、「共有して一緒に」であり、これが労働時間が長くなってしまう元凶ではないかと考えられる。
新しい「日本的人事論」
2018.08.20
2018.09.07
2018.09.19
2018.10.10
2018.11.17
2018.11.29
2018.12.13
NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。