/天才に嫉妬した凡人、それどころか、神に愛された天才を引きずり倒した凡人の頂点、ということか。だが、このセリフも、あの信頼すべからざる偽悪家のサリエリが言ったとなると、真に受けるのはどうか。守護聖人は、神ではない。むしろ災厄において神へ取りなす者だ。つまり、ザラストロのような、人を神に繋ぐ者を言う。/
映画では、夜の女王は、口うるさい義母になぞらえられているが、肝心なところの話をはしょりすぎたのではないか。『魔笛』の筋立てからすれば、かつて全世界が神のものであり、その神の死の後、亡き神に仕えて昼を守るザラストロと、夜を支配する女王に世界が二分された。そして、その女王は、娘をザラストロが掠った、と言う。この夜の女王は、教会であり、宮廷であり、その娘は、教会音楽、宮廷音楽だろう。ザラストロは、神の娘を教会や宮廷から救い出し、タミーノとの結婚を祝福する。
映画においても、よく見ると、コンスタンツェとの関係は薄い。モーツァルトがほんとうに恋焦がれたのは、音楽であって、コンスタンツェではない。それに気付いたからこそ、サリエリですら、コンスタンツェはモーツァルトという源泉に近づく手段としては使えない、として、追い返した。
たしかに音楽は、教会や宮廷で生まれた。だが、父本人の意向はともかく、モーツァルトからすれば、それを本来の神の娘として教会や宮廷から解き放つことこそ、父の秘めた本願だ、と信じていた。そのためにザルツブルクを離れ、ウィーンで努めるが、ことは成し遂げられず、いよいよ「試練」は厳しくなるばかり。モーツァルトには、サリエリような人物こそ、教会ごっこ、宮廷ごっこに明け暮れ、音楽をないがしろにする道化のような放蕩者に見えていただろう。
一方、サリエリ自身は、実の父を野卑と呪うような人物だ。ザラストロのように厳格な父に育てられたモーツァルトを深く嫉妬していた。そして、実の父に代わるものとして、神を立て、やたら身勝手な願いごとばかり。しかし、その神は、ザラストロに劣らず、サリエリにモーツァルトのウィーン来訪という厳しい試練を課す。試練を受け入れたモーツァルトと違って、サリエリは、自分の身勝手な願いごとをかなえてくれない、と言って、こんどは神をも呪う。そればかりか、神に愛されているモーツァルトを亡きものにすることで、神に復讐する、と言う。
サリエリはなぜ老年になって自殺を試みたか
しかし、そんなサリエリがモーツァルトの亡き父に化けることで、その計画を実現しようというのは、じつに皮肉な展開だ。当初からモーツァルトは、自分の音楽がサリエリに嫌われていると思っていた。当時、サリエリほど、モーツァルトの音楽を理解していた人物はいなかったであろうに。そして、理解し、熱愛していたからこそ、恐れ、呪った。だが、けっして嫌ってはいなかった。それどころか、渇望していた。モーツァルトとはわずか6歳差にすぎないながら、彼がモーツァルトの亡き父の立場に滑り込むのは、二人の思惑を越えて、当然の成り行きでもあった。
映画
2017.11.01
2018.02.28
2018.03.15
2018.05.12
2018.08.29
2018.12.07
2018.12.14
2019.06.08
2020.01.25
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。