/応仁の乱と同じく、ヨーロッパの三十年戦争も、ややこしい。しかし、そのわかりにくさの元凶は、近代の領邦国家の感覚で理解しようとしているから。むしろ近代の領邦国家ができる課程でこそ、この戦争は起きた。同様に、われわれの未来も、現代の構図で理解しようとしたのでは、理解できないだろう。/
遅れてきたルネサンス
「で、ようやく一五五五年のアウグスブルクの和議で、皇帝カール五世は、カトリックか、ルター派か、領邦単位の選択を認めてしまい、漁夫の利を得た」「フランスは?」「百年戦争でイングランド王・アンジュー伯家を破ってできたヴァロワ王家は、もともとずっとカトリック教皇の支援を受けてきた。そして、こんどは現フランス・スペイン国境北部のナヴァラ王ブルボン家が、フランスのカルヴァン派の盟主として台頭し、六二年、ユグノー戦争になってしまう」「隣のネーデルラントでも、カルヴァン派が、六八年、カトリックの宗主国スペイン・ハプスブルク皇帝家に対して反乱を起しただろ」「ドイツで収まったはずの宗教戦争が、フランスやネーデルラントに飛び火したわけですね」
「話は、もっと国際的だ。アウグスブルクの和議をまとめたカール五世以来、ハプスブルク皇帝家は勢力を拡大し続け、大オーストリア・スペイン・南イタリアとベルギーからミラノまでの独仏中間帯を握る巨大帝国となっていた」「それどころか、中南米やフィリピンまで進出し、「陽の沈まない国」と言われていただろ」「もっとも、ハプスブルク家そのものがでかくなりすぎて、スペインとオーストリアで分かれてしまい、一五二七年生まれで六四年に即位したオーストリア・ハプスブルク家の皇帝マクシミリアン二世からして、ネーデルラントの反乱は、いとこのスペイン・ハプスブルク家の問題で、うちは知らん、と、アウグスブルクの和議の精神のまま、新旧両教に寛容だった」
「ほかの国は?」「このころ、ほかの北半ヨーロッパ諸国の宮廷も、遅れてきたルネサンスで、妙に穏健だったんだよ。伝統あるブラウンシュヴァイク公ヴェルフェン旧王家は、ハプスブルク皇帝家の盟友なのに、二八年生まれのユリウスは、シュマルカルデン戦争中にフランスに旅行して、その後、カルヴァン派の方に改宗してしまった。ヘッセンの北半を相続した、ルター派の盟主のヘッセンカッセル方伯で三二生まれの「賢明」ヴィルヘルム四世は、夜空を見上げて天文学に没頭していたし、イングランド国教会の長になった三三年生まれの女王エリザベス一世は、シェイクスピアの芝居に興じていた」「なんだかみんな、やる気のない人たちですねぇ」
ルドルフ二世と近代領主たち
「やたら元気だったのは、七二年、七〇歳で教皇になったグレゴリウス十三世くらいかな。もともとはボローニャ大学の法学教授だったのに、ファルネーゼ家パウルス三世に招かれて聖職者になったという変わり者だ」「なにをしたんですか?」「ミケランジェロが六四年に亡くなって半球ドームの下輪のあたりで止まっていたヴァチカン大聖堂の建築を再開し、クイリナーレ宮殿をはじめとして、ローマ市の大改造をやっている。イエズス会の学校戦略を支援し、ユグノー戦争のプロテスタント虐殺を祝福、イングランド女王エリザベス一世の暗殺も画策している。先進的な天文学にも深い関心があって、観測に基づいたグレゴリウス歴に変えた。日本から行った天正遣欧使節の少年たちが一五八五年に会ったのも、この教皇だ」
歴史
2017.07.15
2017.08.07
2017.08.12
2017.10.04
2017.10.23
2018.01.28
2018.02.17
2018.07.10
2018.07.17
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。