世界宗教としてのキリスト教の誕生

2017.07.15

ライフ・ソーシャル

世界宗教としてのキリスト教の誕生

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/初期のイエス系諸派は、古いユダヤ教の選民思想と厳格主義の尾を引きずって、公然と社会批判をやらかし、諸族諸民によって虐待殺害された。それが、テルトゥリアヌスの後、善悪是非を論じることは人間の半可知の罪とすることで、愚直・寛容・奉仕を主軸とするキリスト教となり、世界宗教へ脱皮した。しかし、それは教会への依存を常態とし、「暗黒時代」とも呼ばれる凡庸な平和の停滞が七百年に渡って続くことになる。/

ユダヤ教イエス系諸派

 歴史は曲げられる。いきなりローマで「キリスト教徒」が弾圧された、かのように語られるが、これはウソ。というのも、当時、イエスの名を掲げる集団はいくつもあったが、いずれもまだ「キリスト教」ではなかったからだ。

 もとよりローマは多種多様な文化と宗教の寄せ集め。辺境のユダヤ教も、洗礼者ヨハネやイエスの登場の前から、正統派(伝統サドカイ派・厳格パリサイ派)のほかに、他国の影響を受けた分派がさまざまに蠢いていた。イエス系諸派も、そのようなユダヤ教分派の一つで、その中でもさらに使徒派やパウロ派など、様々な小分派が執拗な本家争いを繰り広げ続けていた。

 大きな問題は、初期のイエス系諸派(「原始キリスト教」)がいずれも、あくまでユダヤ教のヴァリエーションにすぎず、古いユダヤ教の独善的な選民思想と厳格主義の尾を引きずっていたこと。当時のローマは、偽りの「寛容」によって、かろうじて多文化共存の平穏を保っていたにすぎない。にもかかわらず、そこに突然に現れたイエス系諸派は、ローマの人々の堕落と妥協の欺瞞を公然と攻撃的に批判し、白か黒かの徹底的な「回心」を迫った。歴代の皇帝がイエス系諸派を虐待殺害したのは、彼らから批判の俎上に上げられた他の多くのローマ市民の大きな支持があればこそ。当時、すでに皇帝権はかなり不安定になっており、むしろ人気取りのためにやった、という面の方が強い。

 しかし、あまりに巨大すぎるローマ帝国の瓦解は留めようがない。寄せ集めの諸族諸教の分裂対立の危機に、皇帝はみずからを神格化して国家宗教的な統一を図ろうと模索するが、弾圧されてきたイエス系諸派がさらにエキサイトして皇帝を非難。これでむしろ、諸族諸民の方も、皇帝の国家宗教の茶番よりイエス系諸派を支持するようになってしまう。この中央の状況に、地方でかってに皇帝や将軍が乱立。地方政権への求心力をつけようと、むしろ異教徒の流入を黙認、公認するようになってしまい、より混迷は深まる。


三位一体のキリスト教へ

 200年ころ、北アフリカチュニジア市出の変わった教父テルトゥリアヌスが、イエスこそ神、というパウロの教えを推し進め、三位一体(さんみいったい)を主張し始めた。すなわち、父なる神(創造主)、子なる神(イエス)、聖霊なる神(無私の善意)は、三つの位格(ペルソナ)にして、同一の本体である、などと強引なことを言い出す。ようするに、ユダヤ教とパウロ教とイエス教をくっつけてしまった。当然、当時、彼は「異端」とされたが、その後、しだいに理解を集めるようになる。

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純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学 哲学教授

我、何を為すや。忙しさに追われ、自分を見失いがちな日々の中で、先哲古典の言を踏まえ、仕事の生活とは何か、多面的に考察していく思索集。ビジネスニュースとしてシェアメディア INSIGHT NOW! に連載され、livedoor や goo などからもネット配信された珠玉の哲学エッセイを一冊に凝縮。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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