/初期のイエス系諸派は、古いユダヤ教の選民思想と厳格主義の尾を引きずって、公然と社会批判をやらかし、諸族諸民によって虐待殺害された。それが、テルトゥリアヌスの後、善悪是非を論じることは人間の半可知の罪とすることで、愚直・寛容・奉仕を主軸とするキリスト教となり、世界宗教へ脱皮した。しかし、それは教会への依存を常態とし、「暗黒時代」とも呼ばれる凡庸な平和の停滞が七百年に渡って続くことになる。/
テルトゥリアヌスのすごいのは、ユダヤ教の天地創造神話から、アダムとイヴの「知恵の実」を食べたことに発する人類すべての「原罪」を強調することで、このわけのわからない三位一体を、「不合理ゆえに我信ず」で、みなに納得させてしまったところ。どうせ人間はバカなんだから、ごちゃごちゃ言わずに、黙ってまとめて三つとも信じろ、これらはほんとは一つなんだ、と押し切った。
むちゃくちゃな話だが、これで、ああだ、こうだ、と互いに内部で言い争っていたイエス系諸派がようやくまとまっていく。ユダヤ教的な尊大な選民思想と厳格主義を抑え込み、神の下での愚直・寛容・奉仕を主軸にする「キリスト教」になっていく。
ローマ教会帝国
313年には皇帝みずからが、混乱するローマ市を放棄してしまい、東の現トルコ、コンスタンティノープル市へ遷都。おりしも375年、東北からゲルマン人諸族がヨーロッパに大量南下。ローマの中にも入り込んできた。そして、400年ころ、テルトゥリアヌスと同じ北アフリカからアウグスティヌスが出てきて、この世は終わりだ、最後の審判に備えて「教会」に入れ、という終末論を訴える。当時の政治と社会の実情からすれば、この終末論はリアリティがあった。
当時、ローマ神父長(パトリアルケース)は、イェルサレム、コンスタンティノープル、アンティオキア、アレキサンドリアと並ぶ五地方の一つの神父長に過ぎなかった。しかし、ローマ帝国のローマ市放棄の後、ローマ教会は、旧ローマ帝国全域各市に教会組織を拡げ、他の地方の神父長たちを押しのけて「カトリック(普遍)」を強く称するようになり、西ヨーロッパにおいて戸籍、徴税、工事、防衛、福祉、裁判まで、世俗的な行政を兼務する政教一致の「ヒエラルキア(神聖管理)」を行うようになる。
そして、440年のレオ1世に至って、ローマこそが使徒長ペテロの殉教地であり、ローマ神父長のみがイエスやペテロから天国の鍵権を代々継承している、つまり、ただの地方教会の長ではなく、現世の「キリスト代理人(ウィカリウス・クリスティ)」だ、と言い出し、「教皇(パーパ、the神父)」を名乗るようになった。これは、ローマ神父長が、各地の諸王諸侯の権威を凌ぎ、彼らの上に乗って、彼らの公認権を持つ世俗皇帝をも兼務することを意味する。
一般庶民についても、自分で勝手に考えることが恐ろしい「罪」とされ、愚直・寛容・奉仕を理想として、ひたすらローマ教皇庁から順に下されてくる指示命令に従った。しかし、そのためには、定期集会の場しての建物の「教会」が必要であり、ローマ教皇庁から下されるラテン語の回勅を読んで説ける神父がそこに常駐し、人々は、ことあるごとにすべて神父にお伺いを立てなければならない。かくして、町や村は建物としての教会を中心に城壁で囲まれたものとなり、遠くから移動を続けてきたゲルマン人たちは、その中に集定住することになる。その外の森は、もはや山賊とオオカミと異端の魔女に呪われた領域であり、精神的にも、空間的にも、「教会の外に救い無し」とされた。
純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学 哲学教授
我、何を為すや。忙しさに追われ、自分を見失いがちな日々の中で、先哲古典の言を踏まえ、仕事の生活とは何か、多面的に考察していく思索集。ビジネスニュースとしてシェアメディア INSIGHT NOW! に連載され、livedoor や goo などからもネット配信された珠玉の哲学エッセイを一冊に凝縮。
歴史
2013.05.07
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2017.08.12
2017.10.04
2017.10.23
2018.01.28
2018.02.17
2018.07.10
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。