14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』シリーズ 〈第3章|価値〉第7話
ロダンが書いたように、ほんとうの美は内から外へ咲き開く。ところが、内側だけ美しいというのはいまだ完全な姿ではありません。中身の充実が外に表れてこそ完成します。内奥的な美に生きる人は、やがて、内に持つ精神(情熱、性格、衝動など)と調和する形で外にあるものを変えていこうとします。外にあるものとは、自分の身体や持ち物、自分が過ごす空間です。これらは広く「環境」と言っていいでしょう。つまり「環境的な美を求める心」が強く出てくるのが第3段階です。
千利休を例にあげてみましょう。千利休は茶道の大家で、「わび茶」といわれる分野を完成させたことで知られます。「わび茶」とはその名のとおり、「わび(侘び)」の精神を、茶を点(た)てる作法として表わすことです。
「わび」の精神とは、自然のままの不揃いの状態、不完全な状態、簡素な状態のなかに悟りを得ようとする意識です。そういう精神性に美を見出す千利休は、当然、自分の環境も「わび」させていくのが美しいと確信していました。そのため、質素な身なりをし、林のなかにとけ込む小さな茶室を設けます。ごつごつしただけの器を使い、木枝を削って茶さじを作り、庭で取った草木を竹の筒に生ける。千利休は内から外へ、「わび」という美を一貫させていったわけです。
そのように第2段階で内奥の美をしっかりとらえる人は、外側にある環境もそれに応じて美しくしたいと思います。これが第3段階の美を求める心です。「外側の美」にこだわるという点では、第1段階も第3段階も同じです。しかし本質的には大きくちがいます。
第1段階の心が欲しているのは、かっこいいものを所有することです。かっこいいとは見た目がいいねとか、デザインがウキウキするね、すごくかわいいね、買いたいな、持ちたいな、というふうに感情を高揚させる視覚的な刺激です。しかし、かっこいいものは、往々にして、すぐに飽きがきます。流行や他人の影響を受けることが大きく、自分の内面の奥深いところとつながっていないがために長続きしません。
それに対し、第3段階の心が求めるのは、自分が一番落ち着ける環境です。ここで言う“落ち着く”とは、自分の精神が「こうありたい」と目指す状態と、身の回りのものの状態が調和していて、心身ともに平安なことをいいます。
そこで求める美は、必ずしも流行を追ったものではなく、それを所有しなければ気がすまないといったことでもなくなります。あくまで、自分が内面で大切にしていることがまずあり、それに合わせるように、持ち物はこういう様子のものがいいな、身なりはこんな感じにしていこう、毎日過ごす部屋はこういうふうに変えていこうとなります。それはつまり自分なりの美しさを外側へ創造することであり、内側の意志とつながっています。
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キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。