企業における所有と経営の分離について考えてみたい。
投資を考える時に「所有と経営の分離」が重要になる。「そんなこと知っている」、「あたり前のことを言うな」という批判も聞こえてきそうだが、あえて取り上げてみたい。そう思う方は一部の知識層に多いのであろうが、ほんの一部であろう。また、「知っている」、「分かっている」と言っても、本当に知っている、分かっている人は少ないようである。「所有と経営の分離」とは、理論ではなく、ルールである。
投資家や株主は責任を負わない。これは事実の積み上げや経験の蓄積によって導かれた理論ではない。社会が採用している規則である。あえて言えば、思想によって導かれ、長い年月をかけて実証された経験則、あるいは、人類が本能的に導き出した社会運営上の方法論ということになるのかも知れない。
投資家は「有限責任」である。投資家の責任はその投資額に限定される。投資家は、基本的に責任を負わないし、負う必要がない。
ベンチャー企業に10万円投資した場合、投資家が被る最大の損失の可能性は、投資した10万円である。投資家自身の後悔や周囲からのからかいや非難などによって、精神的にマイナスの影響を受けるかも知れないが、社会的に追及される最大の損失は投資額を超えることはない。
投資を受ける企業が反社会的な活動を行うと知っていた場合、投資家は、別の責任を問われるかも知れないが、投資対象企業が株式を公開している企業であっても、非公開・未公開の企業であっても通常の投資において投資家が投資額を失う以上の損失を受けることはないし、責任を問われることもない。それは投資事業有限責任組合などへの投資でも同じである。
このルールは、社会において重要なルールであるが、一般に周知徹底していないし、指導的な立場にある人々ですら、よく理解していないことが多いようである。
こういうルール自体を見直そうという議論はありえると思うが、このルールが守られないと、有望だが当初力のない企業の誕生や成長が望めなくなり、産業は活力を失い、経済は衰退して、社会は閉塞感に包まれてしまうだろう。短期的には有力な大企業などにとって有利になるかも知れないが、中長期的な展望は明るくないだろう。
歴史的には、社会主義や共産主義が掲げられ、当時としては新しい社会運営が試みられたが、ベルリンの壁やソ連の崩壊などによって、そのような試みは失敗したと言われている。 (次回に続く)
【V.スピリット No.85より】
V.スピリット総集編5
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