自分の思考の前提となっている、価値観や判断基準を見つめ直すことによって、より良いコミュニケーションを実現出来るようになるのではないか?
論理的な思考やコミュニケーションにおいて、「優先順位付け」も重要である。ロボットのように事実と前提を組み合わせて演繹的に結論を導き、それを説明しても、関係がぎくしゃくしてしまう。何を言わないかを考えることも重要である。
欧米人は自分の考えや意見をストレートに表現すると述べたが、彼ら(彼女ら)の率直さは主に論理性に向けらる。洗練されたコミュニケーターは、人格、つまり、生まれ持った能力や特性などを攻撃することがない。少なくても、公けの場面ではそうである。
体形や顔の良し悪し、信条、宗教観などを攻撃することはない。ファッション・モデル、女優や俳優でもなければ体の大小や顔の良し悪しが日常生活において問題になることは少ないだろう。「頭の良し悪し」は思考のプロセスとも関係が深い。努力や集中力の不足に対する非難はありえる。相手の分析の不十分さや論理の不完全さや不適切さを指摘することはある。それでも相手を「バカだ」、「無能だ」と決めつけるけるようなことは、よほど感情的にならない限りない。
相手の人格を否定したり攻撃しているのではないので、激しい議論を交わした相手を憎むことは少ないようである。欧米人のコニュニケーションはどこかスポーツ競技にも似ていて、爽やかである。欧米人は論理的な対話を楽しんでいるようである。
日本人も、コミュニケーションにおいて、思考の前提となっている、価値観や判断基準を見つめ直すことによって、より良いコミュニケーションを実現出来るようになるのではないか?グローバル社会の発展によって、好むと好まざるに関わらず、論理的思考の重要性は高まっていくことだろう。
【V.スピリット No.16より】
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