左脳と右脳の働きを分けることには異論があるようだが、何事もバランスが必要なのだろう。理性的な思考や計算と人間の本能や人としての感情のバランスによって知恵、あるいは、創造や変革のための力を生み出していかなければならない。
先日、ウィル・スミス主演のSFアクション映画「アイ,ロボット」を見た。この映画を空想が生み出したハリウッドの娯楽と考えるのか、起こりうる未来への警告と考えるのか判断は分かれるところであろう。個人的には、個性的なウィル・スミスのキャラクターと迫力のある視覚効果によって楽しめる映画だった。
「人を傷つけてはいけない」というロボット工学三原則に従って製造されたロボットが論理的解釈の転換によって人間を支配しようとするストーリである。ロボット対人間、論理思考のみによって動く計算機と感情や心の働きによって必ずしも行動が予測できない人間の対立が描かれている。
人の行動は左脳と右脳の作用に分けて考えられることがある。左脳は言語認識、論理思考、計算などをつかさどり、右脳は直感、芸術性、創造性などをつかさどるというものだとされる。この説に従えば、ロボットは、人間の左脳の働きだけを高度に高めたものだと言える。映画やアニメなどで活躍するのは右脳の働きに助けられて問題を解決する人間、あるいは、右脳の機能を持った心のあるロボットである。
人は左脳派と右脳派に分類されることがある。人間は両方の脳の働きによって生きているが、どちらかの脳の働きが他方よりも強いことによって左脳派と右脳派に分類される。
左脳派の人は論理的な正しさ、論理的な完成度を好む。また、直接的な経験でなくても論理的な拠りどころのあるものを受け入れる。一方で、右脳派の人々は、論理をどちらかといえば嫌う。自分の経験によって体得したものを好む。また、論理よりも直感などを好む。
左脳派は専門知識の解説において知識が補充出来るのであればある程度満足する。右脳派は、自分の知らない知識の解説などにおいて、解説者の直接的な経験に結びついた話しなどでなければ満足しない。
左脳が扱うとされる言語や論理の問題は、それらの不足によって人々を「不満足」させるものであり、右脳が扱うとされるイメージ、想像力、直感は人々に「満足」をもたらすものと考えることが出来るのかも知れない。論理的な解説や信頼性がなければ不満足となるが、論理的な解説だけでは満足出来ず、イメージや直感と結びついて始めて満足が得られるようにも思える。あるいは、この逆のタイプもあるのかも知れない。
全てを論理的に説明しきれないことに失望して思考をあきらめてしまうのは残念である。それでも、理論に従って自動的に導き出されるような解答を疑う力、ロボットのような計算に依存する危険性を認識することは大切である。
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