タオ:規範の道

2024.05.01

開発秘話

タオ:規範の道

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/タオは単なる道であり、陰か陽か、善か悪か、さらには賢者か人々かの違いはありません。また、タオは単なる手段であり、なにも強制しないので、誰でもそこから抜け出して、自分の好きなように物事を曲げることもできます。しかし、彼らは、すべては最終的には本来の道、タオに戻ると信じていました。/

しかし、だからこそ彼らは、仕事のためであっても、倫理をけして捨てるべきではないと考えました。このため、当時の激動の時代には、あえてどの家にも仕えない人たちもいて、彼らは「陰士」と呼ばれました。

「彼らも仙人のように深山へ行ったのでしょうか?」

いいえ、彼らは役人としての勤務を拒否しただけです。彼ら は高い道徳心を保ち、小さな町に住み、貧しくても、人々と協力して働きました。紀元前300年頃の荘子もそうした儒教の陰士の一人でした。

道教の影響を受けて、彼は孟子の仁の考えを深め、それを人間の内なる道として認識しました。彼は、内なる人間性の「仁」に従い、何事も積極的に行うべきだと主張しました。したがって、彼は道教の「自然」または自然の自己生成力を承認しましたが、彼らの「無為」、怠惰は否定しました。同時に、儒家は庶民を軽蔑していましたが、どんなに小さなものにでもタオを円滑に回転させるために相応の使命が与えられている、と彼は信じ、すべては平等であることを「万物斉同」と表現しました。彼はたくさん話しましたが、言葉よりも実践を大切にしていました。

「荘子が儒家? 老子と並んで代表的な道家だったと聞いていますが…」

荘子の言行録を編纂したのが道家だったので、彼らが荘子の名のもとに独自の考えを多く加えたのです。

「ああ、老子を偽造したときと同じだ」

とにかく、このようにして道教は老子と荘子の名の下に確立されました。そして仏教が導入されると、彼らはそれを独自の禅哲学に改編しました。さらにその後、逆に、朱子学が、道教を取り入れて、絶対的な政治哲学として東洋を席巻しました。

「タオの力はすごい! うーん、でも、頭にたくさん入れるとお腹が空きます。これもタオの陰陽なのかな」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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