/タオは単なる道であり、陰か陽か、善か悪か、さらには賢者か人々かの違いはありません。また、タオは単なる手段であり、なにも強制しないので、誰でもそこから抜け出して、自分の好きなように物事を曲げることもできます。しかし、彼らは、すべては最終的には本来の道、タオに戻ると信じていました。/
「それはわかりやすいですね」
さらに、自分と相手、統治者と人々、今と後などの関係を考察するために、卦を二段に重ねて64の卦を作りました。この場合も、下の卦の中心と上の卦の中心との対応が重要です。
重卦は時系列も表します。ただし、それは下から上へ進みます。つまり、一番下の爻は準備を意味し、次は現在、三番目は行動、四番目は対応、五番目は結果、そして一番上は最後の結末です。重卦は国の状況とも考えることができ、各爻は下から上に、農民、兵士、役人、大臣、王、賢者の立場を表しています。
「トップが王ではなく賢人というのは興味深いですね。占い師そのものだったかな」
実際、多くの占い師が現れ、王や貴族の相談役として採用されようとしました。紀元前500年頃の孔子も、陰陽学を学んだコンサルタントの一人でした。
「でも、運命が決まっているなら、彼らは何をアドバイスできたでしょうか?」
陰や陽には若か老かがあるので、老いるとやがて逆転して、全体が変わります。そうでない場合でも、占い師は問題の爻を変更することで状況を改善できる可能性があります。
「それは、たとえば、ぽんこつ大臣を別の人に置き換えることかも」
紀元前五世紀になると、政治はさらに混乱を極めました。それまで戦争は農閑期に年に一度だけでしたが、今ではいつでも四方と戦わなければならない。それに伴い、占いも複雑化しました。
まず第一に、彼らは陰陽のサイクルに他のサイクル、つまり、十干、十二支、および五気を組み込みました。これは、それほど難しくありませんでした。彼らはそれぞれの気を陰と陽に分け、それを十干に当てはめ、十二支でその強さを評価しました。しかし、問題は新たに導入された四季と方位でした。
「たしかに数が合わないですね」
したがって、ある人は五気のうちの木、火、金、水を、東、南、西、北、あるいは、春、夏、秋、冬に割り当て、残りの土を中心、または不安定な移行期とみなします。しかし、他の人は別の方法を提案したため、占いの理論も混乱しました。
道士、方士、道家
政治的混乱に失望したタオ研究者たちは、道士、方士、道家の三つのグループに分かれて去りました。
「彼らはどう違っていたのですか?」
道士は実践的なタオの探求者でした。彼らは深い山に入り、自らを鍛錬し、タオと一つになろうと努めました。
「ああ、彼らは仙人だったんですね。でもほんとうに空を飛んだり、池の上を歩いたりできるのでしょうか?」
解説
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2024.08.18
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。