/タオは単なる道であり、陰か陽か、善か悪か、さらには賢者か人々かの違いはありません。また、タオは単なる手段であり、なにも強制しないので、誰でもそこから抜け出して、自分の好きなように物事を曲げることもできます。しかし、彼らは、すべては最終的には本来の道、タオに戻ると信じていました。/
おそらく、今日私たちがグライダーや水中翼船を持っているように。自然はフリーエネルギーに満ちているが、それは自らの乱れによって相殺されしまっている、と、彼らは信じていました。それを解決できれば、その力を使えるのではないか、と彼らは考えました。実際、たとえば、乱れた光をルビーの円筒で配置すると、そこから強力なレーザー光を取り出すことができます。
「ああ、それがフォースですね! 映画で知っています!」
しかし、自然の力を取り出す方法はそう簡単には見つかりませんでした。それで、したがって、彼らは自然魔術に陥り、儀式でタオを崇拝しました。
「ああ、それも、安っぽいホラー映画で見ました」
一方、方士たちは市場に下りました。彼らは超常的な力を得た立派な道士を装い、怪しげな占いを行い、役に立たない呪物や薬品を高値で人々に売りつけました。しかし、彼らの中には化学の真の先駆者もいました。
「ああ、不老不死の霊薬とかでしたっけ? でも私には道士と方士の区別がつきません」
そうですね、とにかく、どちらも怪しげです。しかし、これらとは対照的に、第三グループの道家は、儒教の影響を受けて学問的に思想を深めていきました。彼らは通俗的な方士だけでなく、この世ならぬ道士も嫌っていました。なぜなら、彼らによれば、タオはそれほど特別なものではなく、 いつでもどこでも見つけることができる自然の共通法則だからです。
「それはモイラと同じですか?」
いいえ、彼らは占い、さらには陰陽学さえも拒否しました。タオは単なる道であり、陰か陽か、善か悪か、さらには賢者か庶民かの違いはありません。また、タオは単なる手段であり、なにも強制しないので、だれでもそこから抜け出して、自分の好きなように物事を曲げることもできます。
「それでは、どんな占いも当たりませんよ」
しかし、彼らは、すべては最終的には本来の道、タオに戻ると信じていました。したがって、干渉せずにただタオに従うのが賢明です。彼らはモットーを「無為自然」という言葉で表現しました。つまり、「関わらず、すべてなるがままに」です。そして、彼らは孔子よりも古い伝説的な哲学者、老子の名の下に 自分たちの考えをまとめました。
「東洋人はみんな権威に弱く、古人の方が偉大だと考えていますね」
陰士たちと荘子
ところで、儒家は紀元前500年頃、儀礼を教えて官僚を育成するために、孔子によって設立されましたが、政治の混乱で人気を失っていました。ところが、紀元前四世紀に孟子が儒家に登場し、内面の人間性「仁」に焦点を当てることで、再び若者に訴えました。
解説
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。