/タオは単なる道であり、陰か陽か、善か悪か、さらには賢者か人々かの違いはありません。また、タオは単なる手段であり、なにも強制しないので、誰でもそこから抜け出して、自分の好きなように物事を曲げることもできます。しかし、彼らは、すべては最終的には本来の道、タオに戻ると信じていました。/
「彼らは黒点を発見したかもしれない。おそらく彼らは、太陽は、毎年責任を負う行政官僚のようなものだと考えていたのでしょう」
彼らはまた、その年の太陽が強い影響を与える場合もあれば、影響力が弱い場合もあることに気づき、それが木星の位置に関係していることを発見しました。じつは木星は太陽系最大の惑星なので、太陽さえも中心からずらして、その活動を変えてしまいます。この事実に基づいて、彼らは継続的な強さのサイクルを考察し、それを種子から枯れるまでの植物の 12段階で表現しました。それらは地下の「十二支」と呼ばれています。
「太陽がつねに太陽系の中心にあるわけではないなんて、初めて聞きました」
一方、昼と夜は、太極図に見られる陰と陽の二元的なサイクルを示唆しています。彼らはそれを光や闇だけでなく、存在や不在、動くか止まるか、など、あらゆるものに適用しました。ただし、彼らはそれを西洋人のような善悪二元論にはしませんでした。陰と陽はうまく循環すると両方に良い影響を与えます。そして、回転のためには、上昇する陽が下にあり、下降する陰が上にある ことが好ましい。逆であれば、陰と陽が分離し、世界は停滞してしまいます。
「それは二元論じゃなくて、一種の一元論ですよね?」
また、紀元前八世紀の政治混乱の時代には、木、火、土、金、水の五つの性質「気」の混合を考えました。この理論では、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生み、この正の循環関係を「相生」といいます。その逆に、木は土を妨げ、土は水を妨げ、水は火を妨げ、火は金を妨げ、金は木を妨げます。そして、この否定的な循環は「相克」と呼ばれます。
「結局のところ、一言でタオは循環だと言っても、順序の十干、強さの十二支、交替の陰陽、混合の五気など、さまざまなものがあるんですね」
陰陽学の発展
前述のように、五気が発明された紀元前八世紀は混乱の時代であったため、政治家は状況を分析し改善するために学者たちにに占いの理論を開発させました。
「先が見えないときは、占いに頼りたくなります」
彼らの世界観では、上には天があり、下には地があります。そこで、筮竹などを使って占い、陰陽を三つ重ねて、天、地、風、谷、雷、山、火、水の八卦を作りました。いずれも中心は相談者で、占い師はその上位と下位の対応を確認します。上が陰、下が陽の場合は、両者が和合してうまくいきますが、逆の場合はうまくいきません。
解説
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。