いかに西部は失われたか:ONCE UPON THE TIME IN THE WEST (『ウェスタン』1968)の時代

2023.07.02

ライフ・ソーシャル

いかに西部は失われたか:ONCE UPON THE TIME IN THE WEST (『ウェスタン』1968)の時代

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/西部開拓というと、西部劇で見るように、「インディアン」の襲撃を受けながらも、人々が西へ西へと押しかけ、太平洋にまで至って終わった、かのように思うかもしれない。だが、西部劇に出てくる無法の「西部」は、アリゾナ・ニューメキシコ準州での、1880年前後のほんの数年の出来事だった。/

トーマス・チャイルズ・シニアは、孤児としてモルモン一家に育てられ、時代遅れの砂金探しの山師としてカリフォルニア側からフェニックス市のアリゾナ開拓団に加わった後、結婚して、鉄道駅ができたばかりのヒラベントにやってきた。しかし、妻を亡くすと、子どもたちとともに、その南の荒野、インディアンが墓地としてきたアホ山の北麓の谷、テンマイルウォッシュ、映画でいう「スウィートウォーター」に引き籠もってしまう。

だが、山師の彼には目算があった。ここは砂漠の中で地山が突出しており、その麓は映画の地名のとおり、井戸を掘れば水が出て、牧場経営ができたのだ。それだけではない、金は出なかったが、彼はここで銅鉱石を見つける。おりしも第二次産業革命によって水力や蒸気から石油や電気へシフトしつつあり、発電機やモーターのために銅の需要が激増していた。当初は馬車でちまちまと搬出していたものの、彼は銅で稼いだ金をぜんぶ注ぎ込んで、アホ谷に自前の郵便局と鉄道駅を建てた。映画の物語同様、ヒラベントから鉄道の支線を誘致して、そこに自分の理想の町を作ろうと考えたからだ。

鉄道があれば、銅鉱石の搬出も楽になる。鉄道の支線は、東のツーソン市まで延伸するとされた。しかし、映画で鉄道会社オーナーが生きている間にかなえたいと言っていたように、チャイルズが夢見ていたのは、鉄道でアリゾナ砂漠を縦断し、カリフォルニア湾に面したメキシコのプエルト・ペニャスコまで鉱石を運んで、船でもっと多く輸出することだったのだろう。

だが、実際にアホの町に鉄道が開通したのは、彼が亡くなった後、1916年になってからだった。そもそも、銅の精錬は、大量の鉱毒を生み出す。つまり、彼は自分で自分の夢をダメにした。東のツーソン市に行くにしても、南のペニャスコ港に行くにしても、水が汚染されたアホの町は、もはや砂漠を越えていく蒸気機関車や乗客乗員の水の補給には適さず、その先は断念された。こうして「西部」最後の夢は潰えた。


おわりに

米国を東海岸のニューヨークや西海岸のロサンジェルス、その熾烈な競争の中でアメリカンドリームの実現を求める人々で語るのは、大きな間違いだ。重工業の終焉で「ラストベルト」と呼ばれるようになってしまった中西部北部はもちろん、ミシシッピー流域、大平原、ロッキー山脈、そして、その西の不毛のネヴァダ砂漠やアリゾナ砂漠。その中には、ソルトレイクシティ市やフェニックス市、ラスベガス市など、きらびやかな大都会もないではないが、そのほかのほとんどすべての土地では、夢から取り残された絶望的な敗残者たちが荒野に点々と孤立して、ひっそり暮らしているだけ。それは、もはや開拓の無い、ただ廃墟と化していくだけの「西部」。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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