いかに西部は失われたか:ONCE UPON THE TIME IN THE WEST (『ウェスタン』1968)の時代

2023.07.02

ライフ・ソーシャル

いかに西部は失われたか:ONCE UPON THE TIME IN THE WEST (『ウェスタン』1968)の時代

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/西部開拓というと、西部劇で見るように、「インディアン」の襲撃を受けながらも、人々が西へ西へと押しかけ、太平洋にまで至って終わった、かのように思うかもしれない。だが、西部劇に出てくる無法の「西部」は、アリゾナ・ニューメキシコ準州での、1880年前後のほんの数年の出来事だった。/

アープ兄弟は、駅馬車強盗のドク・ホリディまで仲間に引き入れてカウボーイたちの密輸貿易の利権まで狙い、81年、OK牧場で決闘。四人で、五人のうちの三人のカウボーイを撃ち殺したが、生き残った二人が後にアープ組を闇討ち。それで、アープはその実行犯のカウボーイをツーソン駅(!)で暗殺。こうして、アープもまた別の保安官に命を狙われることになる。しかし、こんなクズ野郎が生き残って、後にロサンジェルスに移り住み、自分の活躍を映画監督のジョン・フォードに売りつけて稀代のヒーローになる。それが「西部」。

そう、不毛のアリゾナの地にも、目前にまで新時代が迫っていた。すでに前年の1880年には、カンザスシティ市からもうツーソン市まで「サザン・パシフィック鉄道」が開通していたのだ。そして、「セントラル&ユニオン・パシフィック鉄道」や「アトランティック&パシフィック鉄道」と対抗して、「サザン・パシフィック鉄道」もまた、大陸横断路線を企図。そのためにまず、カリフォルニアの海寄りの谷あいの国有地の払い下げを受ける。これを聞きつけた人々は、巨額の立ち退き料を狙って、その建設予定地に牧場を次々と作って不法占拠。補償金目当ての新たなゴールドラッシュとなった。

しかし、あまりの法外な金額の要求に、サザン・パシフィック鉄道側は支払いを拒んだ。1880年末、会社側の4人は不法入植者20数名と話し合いの席に臨んだが、その場で銃撃戦となり、その大半が死んだ。この「ミュッセル・スロウの悲劇」とともに、不法占拠に対する裁判も行われ、入植者の数十名が有罪となる。ところが、世論は会社側を政治と結託したカネの亡者と批判し、服役した入植者たちを資本主義と戦う英雄として賞賛した。とはいえ、もはやカリフォルニアに夢のかけらも残っていなかった。


西部最後の夢

この間にも、最後の「西部」、アリゾナの開拓は進んで行った。翌81年には、「サンタフェ・トレイル」の駅馬車を置き換えた「サンタフェ鉄道」も開通。これが翌82年にはフェニックス市北の中継地、フラッグスタッフを通って、西海岸北部サンフランシスコ市まで直通の「アトランティック&パシフィック鉄道」となる。

また、「サザン・パシフィック鉄道」も、ツーソン市から南移民トレイルに沿ってカリフォルニアのユマ市に接続。こうして、その中間、かろうじて水の出るヒラベント駅は、アリゾナ砂漠の直中にあって、蒸気機関車の貴重な給水所となった。そして、こここそが、映画『ウェスタン(ONCE UPON A TIME IN WEST)』(1968)の舞台。その冒頭の「フラッグストーン」の駅のシーンのままに、ここには新しい町を作るための材木が大量に転がり、あとはうらぶれた給水塔があるだけ。では、あれは実話か。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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