/世のためにも、人のためにもならない物事の追求へ社会全体が暴走して、文明そのものを自己破壊していく。差別化のための差別化、競争のための競争に走り出してしまった無意味な欲望への欲望を、もはやだれも制御できない。/
ひとは、欲望に欲望する。つまり、なんでもいいから、なにかしらに欲望していないと、生きていられない動物だ。逆に言うと、そのときどきになにかに欲望していればいいのであって、その欲望の対象には、じつはほとんどまったく関心が無い。だから、欲望が実現しても、すこしも満足できない。
よく酒だのなんだのの中毒を言い、その化学的、器質的なメカニズムを言うが、あれはべつにギャンブルでも、買い物でも、同じこと。それを追求している自分に溺れてしまうだけのこと。もちろん、生きていれば、衣食住の必要はある。しかし、欲望は、それとは違う。着られないほどの服を買い、食欲をはるかにしのぐ豪勢華美な飲食に興じ、暮らしを越えた規模の財産を求め続ける。どのみち、使いきれず、そもそも使おうともしないのだから、どんなにあっても、足りることはなく、無限に求め続ける。
そして、欲望には、もう一つの機制がある。差別化だ。もともと本人が空虚だから、欲望に欲望している。つまり、欲望は、空虚な自分のアイデンティティの埋め合わせだ。社長夫人、○○住まい、××のオーナー、果ては、△△に行ったことがある、とか、□□の財布を持っている、とかいうだけまで。そして、この差別化の欲望は、そのパラダイムの中での競争を生み出す。より多く、より大きく、より高い方が偉い。
この競争が社会でうまく働けば、人々の向上心をかき立てることにもなる。より早く走る、より深く物事を学ぶ、より多く人々をまとめる、等々。かつては、世間の文明が、世のため、人のためになるパラダイムを立て、人間の欲望を良い方向へ制御してきた。逆に、犯罪的な欲望や自分勝手な欲望、生活破壊的な欲望に対しては、世間の非難だけでなく、権力の行使が歯止めになった。
ところが、近代になって、自由主義や個人主義ということで、他人に直接的に干渉することが憚られるようになり、権力の介入も徹底的に制限されるようになった。その一方、匿名で、あること、無いこと、言い散らし、他人を嫉妬で引きずり落とす欲望が、ネットで爆発的に増殖した。そもそも、自動車だの飛行機だのができ、さらには瞬時に伝わる電話やテレビが普及すると、伝令として、より早く走る、などの従来のパラダイムが無意味になった。代わって、棒で球を叩き飛ばしたり、氷上や空中でくるくる回ったり、それはそれで、そのトップに登るにはたいへんな「努力」を要するのだろうが、それらは、世のためにも、人のためにもならない、ただ他者との差別化のための差別化、競争のための競争。しかし、世間は、それらに熱中し熱狂し、それゆえ、それらにまた名声とカネが集まり、アイデンティティを渇望する人々が、自分の人生を投げ打って、次々と参戦する。
また、なまじモノが溢れ、必要もなくなり、だれも羨んでくれなくなると、ひとは欲望そのものに飢える。これに乗じて生まれてきたのが、近代の欲望捏造産業だ。次から次へと、新たな欲望への欲望を刺激して、必要もないモノを売りつける。家の中には、なにかに使うと「便利」らしいが、けっして使うことのない家電製品が溢れかえり、町の中には、とにかくむちゃくちゃに高性能で省エネなものの、どこに行く当てもない人たちの車で大渋滞している。
モノが買えない人、モノがありあまる人には、趣味だ、応援だ、生活の潤いだと言って、わけのわからない、実体の無い疑似商品を売りつける。旅行だの、占いだの、宝くじだの、ペットだのから、アーティスト、アスリート、タレント、アイドルやホスト、コンサルタント、インチキ教祖、等々。より多くのカネを巻き上げてやればやるほど、ファンはより喜んで、より深みにのめり込む。社会改革だの、環境保護だの、世界平和だのの主張や運動も、似たようなもの。ただ空虚な自分のアイデンティティの埋め合わせに、世間より過激で先鋭的であろうと、たがいに競争しているだけで、ほんとうは政治や自然、まして世界のことなど、なにもわかっていないし、はなから、ほんとうにわかろうとする気も無い。それに、これらは、もともと実体が無いから、際限も無い。
けれども、近代的な欲望捏造産業は、大量生産大量販売をやりすぎた。同じようなものだらけで、いくら買い求めても、アイデンティティとしての差別化が図れなくなった。それで、より多く、より高いものに費やさせることで、アイデンティティ競争を煽ったが、それもネタが尽きてきた。そこで、パラダイム転換だ。それは、あるとき、突然に瓦解する。なんらかの競争で、より多く、より高くを求めていたのが、ある日、急激に、かっこ悪くなる。株だ、金だ、不動産だ、と、どこまでも果てしなく掻き集めていたのに、おや、それって自分で使えなくねぇ? と気づいてしまうやつが出て来る。ジャラジャラ、ゴテゴテと、とてつもない宝飾品と厚化粧の女性を見て、あれって、おばさんっぽいよね、と言うようになる。二五〇キロも出る高級スポーツカーなんて、信号だらけの日本じゃいらね、軽でいいや、と乗り換えてしまう。
ようするに、古い欲望体系から新しい欲望体系にいち早く乗り換えたほうが、クールでかっこいい。とりあえず、それだけで自分のアイデンティティがあるかのように装うことができる。ただし、それは単純な、パラダイムからの離脱ではない。うまく新たな欲望者たちが大量に後から追いかけてきてくれてこそ。だから、自分こそが新時代のパラダイム(凡例)になろうと、それを仕掛けて、その最先端を標榜する企業やタレントたちが、マスコミに広告宣伝の大金を費やし、自分たちで、わけのわからないパラダイム転換競争に嵌る。
内面の貧しさ、愛情や羨望の飢え。自分自身が無く、空虚な現代社会に漂って、他人の頭を踏んづけることでしか、浮かんでいられない人々。そして、そういう人々を利用しているつもりで、自分たち自身もまた、無限の競争に駆り立てられる企業やタレント。そうこうしているうちに、世のためにも、人のためにもならない物事の追求へ社会全体が暴走して、文明そのものを自己破壊していく。差別化のための差別化、競争のための競争に走り出してしまった無意味な欲望への欲望を、もはやだれも制御できない。
純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、東京大学卒(インター&文学部哲学科)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元東海大学総合経営学部准教授、元テレビ朝日報道局ブレーン。
哲学
2025.04.08
2025.05.02
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2025.07.15
2025.09.05
2025.12.02
2025.12.11
2026.01.17
2026.02.08
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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