/大戦後、ドイツナチスの「アーリア仮説」に代わって「クルガン学説」が唱えられ、ウクライナこそがすべての文明の源泉だった、などとされ、東欧移民のコンプレックスとソ連の国家主義のイデオロギーがあいまって、広く世界に流布され、東欧崩壊後、学術風通俗本で評判になり、東欧や移民先の欧米でカルト的な信奉者を生み出した。それがネオナチ。/
前1300年ころ、墳丘墓文化のさらに西、EEF系主体の釣鐘壺文化のあった内陸部アルプス、ライン河流域から南フランスにかけて、「骨壺墓地(Urnenfeld)文化」(UK)ができる。彼らは、東部アルプス山中、ザルツァッハ谷のケルシュアルム(ケルト高原)銅鉱山、ハライン岩塩鉱山の銅と塩を経済の基盤とした。とくに銅は、戦車の車輪などの大型鋳物を作るとともに、大量の剣やナイフ、槍などの武器も製造し、また、薄くのばした青銅板に金や琥珀、ガラスなどを組み合わせて宝飾品に加工した。また、リベットを使って銅板鎧も作られるようになる。
彼らは、高い丘の上や川の蛇行地、湖の水上など、堅牢な要塞の中に暮らし、共有の貯蔵庫を持った。彼らは、麦類や豆類を育て、小型の牛を飼い、ワインも作った。内陸部の彼らには干潟草原のような墳丘墓「クルガン」を作る習慣は無く、火葬にして骨壺に収め、墓地にまとめて埋葬した。このことから、彼らは戦士の平等のような共同生活だったことがうかがえる。ただし、一部の墓には生贄の骨や豪華な副葬品があり、細かな装飾を施した1メートル以上もある黄金の円錐帽子も出土し、その装飾が天文学的な知見を表していることから、すでに学術宗教的指導者が存在していたこともわかる。(このEEF系主体の人々が後の「ケルト人」となる。)
かくして、ヨーロッパは、大西洋気候のライン河流域以西(アルプス山中を含む)のEEF(初期ヨーロッパ農民族)系のケルト人と、内陸性気候の中央ドイツ以東のEHG(東部狩猟採集民族)系影響下のゲルマン人との二大文化圏となっていく。彼らはどちらも青銅器文化であったが、ケルト文化は地中海(アナトリア(小アジア)半島)由来、ゲルマン文化は中央アジア由来で、前者は宗教的社会、後者は戦闘的社会だった。
彼らは牛や馬を家畜にしたが、あくまで肉食用、荷役農耕用で、放牧地の制約の都合から、従来の野生のものよりもはるかに小型なもの(狭い放牧地でも飼育可能なもの)に品種改良されていた。彼らはまだ馬具を持たず、疾駆する牛や馬に騎乗して制御する技術も無かった。しかし、木製よりはるかに強固な鋳造青銅車輪によって、鉱石や岩塩、食料、製品などの重量物の広域交易が可能になった。
この広域交易の都合から、彼らは商業先進的なCHG(コーカサス狩猟採取民族、アーリア人)の印欧祖語を受け入れた。印欧祖語は、名詞は三性(男女中)三数(単双複)八格(主対族与具奪処呼)を語尾区別して、動詞もこれらに応じ、さらに五時(現在・不定・完了・未完了過去・大過去)三態(能受中)五法(直命接希指)で語尾屈折、語順はSOVだった。しかし、ケルト語やゲルマン語では、名詞の語尾区別が整理されていき、代わって、ケルト語系ではVSO語順が、ゲルマン語系ではSVO語順が徹底され、動詞の屈折で主語の性数を、また、動詞の後に置かれて前置詞を用いることで目的語の格を表し、動詞の五時三態は助動詞で、五法は語順で簡略化されていく。また、どちらも、音の前後の無声音(h)が落ち、有声破裂音が無声破裂音に、さらには無声摩擦音(たとえば gh→g→k→s)に変化する傾向があった。
歴史
2021.09.09
2021.09.26
2022.01.14
2022.01.21
2022.06.19
2022.07.03
2022.07.16
2022.07.21
2022.10.27
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。