人財教育コンサルタントとして、「プロフェッショナルシップ研修」「コンセプチュアル思考研修」「管理職研修」「キャリア開発研修」など、多岐にわたって企業内研修を行われている村山さんに、働くことの意義・目的、スタイルをどのように考えればよいのかについてお話をうかがいました。 (聞き手:猪口真)
猪口 なるほど。確かに、「どこで働くか」という問題が、労務管理やミーティングツールが一気に普及し、「自宅で十分働ける」という感覚を多くの人が持ったでしょうね。
村山 コロナは、アナログ的な作業でぐずぐずとしていた日本の職場の状況を一気にデジタル的作業に置き換える効果があったように思います。そして人びとが「けっこうデジタルいけるね」という実感を持った。そんな外形的な変化に伴う感覚の変化が一番大きかったのではないでしょうか。
しかしながら、職場での経営者、管理者、一般社員の間でやりとりされる会話は、依然「どう目標数値を達成していくか」「どう生産性を上げるか」に終始していて、結局多くの人から出てくる言葉は「やれやれ、給料をもらうのはやっぱりタイヘンなんだな~」ということに落ち着いてきます。「働くこと」について、深い意識層のところで何か大きく変わったようには思いません。
ただごく一部には、コロナ禍を環境問題や人類文明の問題という次元でとらえ、一人一人の人間の足下の労働のしかたから変えていかねばならないと考える人もいると思います。国連が提唱している「SDGs(持続可能な開発目標)」がブームのようになっていますが、こうした深い次元からコロナを考え、働く意識を考える人が増えれば、SDGsは本格的な運動になってくるのではないでしょうか。
「働く」ことにおいて、何が最上位の目的であるかを考える
猪口 「働く」意識に入るかどうかは別として、出世意欲が減った、昇進したくない人が増えたという話も聞くようになりましたが、どのようにお感じになりますか?
村山 そのとおりだと思います。ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは、約100年も前の著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、当時の新大陸アメリカでは、ビジネスがスポーツ化していると指摘しています。この流れは今日まで強化され続け、いままさに、事業や仕事というのは利益という得点を追求する熾烈なゲームスポーツになっています。
ゲームスポーツは競争を強います。競争原理は適度であればよいはたらきをしますが、それが過大になり、常態化すると、悪いはたらきも出てきます。いま、多くの人、特に若い世代がそうした競争に疲れてきているというか、しらけているのではないでしょうか。
個々人が仕事というゲームで心身を酷使してがんばってみても、結局それは組織と経営者の利益として吸い取られてしまう、あるいはマネーの量を多く持った者がより多くのマネーを得るという構図が透けて見えてしまっているからではないでしょうか。だから、仕事はほどほどに抑え、プライベート優先でという意識にもなる。それが出世や昇進意欲の減退につながっているように思います。
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