/千年も前の中国の話? そんなの関係ない、と言うなかれ。じつは現代日本の政府や大企業、そして社会の問題状況ととても似ている。建前の平等と現実の格差。建前だけを押し通そうとしても、現実はいよいよ動かなくなる。かといって、本音をさらせば、世に叩かれる。いったいどうやって折り合いをつければいいのか。/
いずれにせよ、朱子は、本来は王帝のために書かれた『大学』を、強引に読み替えることによって、だれでも「敬」に徹すれば、気の性(現実の低位や貧窮)に振り回されず、天の理を体現する聖人になることができ、その徳によって周囲の民衆をも感化して、家を興し、国を取り、天下を治めることになる、と説いた。いや、朱子によれば、知のエリートは、現世の五気の性に惑わされている愚かな人々の、ばらばらな世の乱れを、天の陰陽の理に収斂させるための核として、この世にぜひとも必要なのだ。そして、彼はこの自分の考えを、当時、市場に流通し始めた木版印刷で大量に頒布した。
学べば誰でも聖人となって天下も取れる、などという、自己啓発の嚆矢のような朱子のアイディアは、市場経済で地位が相対的に低下して鬱屈としていた地方の士大夫たち、それどころか科挙にも受からず、経済発展にもかかわらず個人の中小の農家や商人としても芽が出ず、ただ無職貧乏にあえいでいるくせに天下取りの自信と野心だけは全身に煮えくりかえっている、劣等感と自尊心で屈折しまくった連中に爆発的に受け入れられた。しかし、我こそは天の理を体現する者なり、などという思い上がりの化け物みたいなのが、独善的に政治批判、社会批判をしまくるものだから、1195年の慶元党禁で偽学として禁止。それでも、現実の低位や貧窮をかってに無視して(朱子学は、そんな現実を無視するのが正しい、と言ってくれる)、学んだだけで聖人君子を気取れる朱子学の人気は衰えることはなかった。
第三章 世界はうまくいくようにできている:三分でわかる陽明学
/朱子学は、二程子から理気二元論を採ってくることによって、新法新学の一国斉民思想を退け、士大夫の必要性を説いた。しかし、理気二元論は、二程子の弟の程頤によって、体(無心)の中正、「敬」という話に矮小化されてしまっていた。陽明は、朱子の文献の中に二程子の兄の程顥の万物万民一体の「仁」という壮大な構想を再発見し、それこそが朱子晩年の真説と考えた。/
陽明学成立の遠因
王陽明(1472~1529)は、明代の最上位の高級官僚。家柄も良く、成績も抜群で、軍隊を率いる将軍としても天才的だった。その執務多忙の間にも学究研鑽を怠らず、朱子学の勉強に努めた。そんな彼が気づいたのは、朱子文献に通説とは違う一面があること。彼は、これを朱子が晩年に到達した最終的な真説として論じた。これが陽明学。つまり、陽明学は、王陽明の学説ではなく、朱子の学説の解釈。朱子学学。
哲学
2018.06.03
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。