/料理は、生活力の象徴だ。人生のマネジメントのすべてが集約されている。どうにか集められたもので、どんな料理を考えるか。それは、自分たちで努力工夫して、幸せな人生を作るのと同じ。/
オリジナリティを追求したがるのは、かなり厄介。まともなレシピもこなせないくせに、それを意に介さず、独創料理だ、とか言って、コーヒーだの、コーラだの、わけのわからないものをデタラメに混ぜ込み、自慢げにひとに食わせる。そして、それは、ぜったい絶望的に、まずい。こういうオレ様は、人間や文化の歴史に対する敬意が無い。過去の多くの人々がいろいろ試して、鶏肉にネギ、豚肉にショウガ、というところで落ち着いてきたのだ。こういう決まりを平然と無視して勝手なことに自信を持つやつは、実家でも揉める。近所ともトラブルを起こす。そして、その板挟みになるのは、これまた、きみ。
料理にやたら時間がかかるのも、いらつくだけ。ようするに、段取りが悪い。というより、全体の構成が見えていない。ふつうは、お湯を沸かしている間に、下ごしらえ。煮ている間に、酢の物、香の物、その他。そして、暖かいものは暖かく、冷たいものは冷たく、最後が同時になるように出す。ところが、ダメなやつは、単線でしか作業ができない。あいだで、ぼーっと湯の沸くのを待っていたりする。温め直し、焼き直しの繰り返しで、肉も魚もボロボロ。そして、なにしろ、結局、永遠に、なにも出来上がらない。
後始末も見どころ。どんな派手で立派な料理も、惨憺たる犠牲を残したままでは、台無し。式だ、新居だ、出産だ、と、やたら準備に口うるさいくせに、その後、なにもかも放り出しっぱなしで遊び歩くような予兆は、食事の後の片付けでわかる。自分で始末できないほど手を広げたがるバカのツケを払うのは、やはり、きみ。
こんなヨタ記事を読んで、そうそう、うんうん、言っている男も考えもの。本人が時代錯誤の亭主関白、というだけなら、ヘタに台所に手を出されるよりマシ、と、あなたは思うかも知れない。だが、義実家で苦労するぞ。そんなバカ男を容認してきたのは、先方の両親。そこにあなたが「嫁」に行けば、ぜんぶ嫁がやるのが当然、とばかりに、料理はもちろん洗濯、掃除、はては介護まで、なにもかも押しつけてくるぞ。
生きることは、食うことだ。ひとに食わしてもらわなければ生きていけない、というのでは、家畜も同然。男だろうと、女だろうと、自分で料理してこそ、一人前の人間。とはいえ、予算は限られている。買い物も、運良くなんでもうまく希望通りに手に入れられるわけじゃない。そうでなくても、食材には季節がある。どうにか集められたもので、与えられた時間内に、どんな料理を考えるか。それは、自分たちで努力工夫して、幸せな人生を作るのと同じ。
(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。近書に『アマテラスの黄金』などがある。)
哲学
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。