/古代ローマはきれいごとの一方、裏はドロドロ。他人との関わりを断つ懐疑主義、快楽主義、禁欲主義がはやった。まして、当時、選民かぶれのユダヤは憤懣と隠謀と混乱が渦巻いていた。その地でヨハネの後に現れたイエスは、むしろ神のしもべとして人を救うために働くことを教えた。その意味をパウロが理解したとき、彼はイエスこそが神だと確信した。/
辺境ユダヤのイエス事件
ローマの東の端のイェルサレムは、もっと面倒だった。ここは地中海ベイルート港からインド洋アカバ港に抜ける交通の要衝で、祭司王が治めるユダヤ王国として独立自尊を保っていた。すなわち、彼らは、自分こそが唯一神に選ばれた民であり、本来であれば世界をも支配すべき者だ、と信じていた。
その国の武将アンティパトロスは、ローマのカエサルに取り入り、その息子ヘロデをユダヤ王国北西部ガリレア州知事に。そして、以前からの王族内の争いが再燃すると、ヘロデはローマ市へ行って元老院に訴え、「ユダヤ王」の名を認めさせて、軍を借り、紀元前37年、王国を乗っ取り、自分の妻を含めて旧王族を皆殺し。しかし、こいつも紀元前4年に死去。長男が相続したイェルサレムを含む西南部は、紀元6年にローマが没収して直轄領に。つまり、こいつらは、ローマを利用するつもりで、ローマに利用されただけ。
次男が相続した東部と、三男が相続した中央部は残ったが、その中央部過半を占めるデカポリスは、アレキサンダー大王によって植民されたギリシア人たちが多く、都市同盟を組んで、ヘロデ家には従わない。おまけに、次男が死んだ。このままでは、そこもローマに没収されてしまう、ということで、紀元前36年、三男ヘロデ・アンティパスは妻を追い出し、兄(次男)の未亡人ヘロデアと再婚。
おりしも巨大帝国ローマの支配下にあって、ユダヤ人は、選民思想の傲慢さを拗らせており、現実主義のサドカイ派、原理主義のパリサイ派、厭世主義のエッセネ派が、ユダヤ内部で憎み合っており、もとよりヘロデ家は、ローマ傀儡の王位簒奪者で、ユダヤ人のだれもから嫌われていた。中でも、過激な言動で人気を集めていた洗礼者ヨハネが、近親結婚だ、と噛みついた。ところが、未亡人連れ子のサロメ(男の娘(こ)?)が、自分になびかないヨハネの首をあっけなく刎ねてしまう。
その後、ヨハネのファン残党をイエスという男がまとめていくが、周囲はかってに洗礼者ヨハネと同じ反ローマ、反ヘロデ家を期待し、新たな「ユダヤ王」に押し上げようとした。しかし、本人にその気が無いことがわかると、こんどはその処分をローマやヘロデ家に求めた。このわけのわからない混乱のなかで、イエスは拘束。裏切ったのはユダだけではない。第一の使徒と指名されて喜んだペテロさえイエスを知らないと言い、棕櫚を振ってイエスを讃えた者ほど、磔刑を叫んだ。裏切られる前に裏切ってしまえ。これがこの時代のならいだったのだ。
純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学 哲学教授
我、何を為すや。忙しさに追われ、自分を見失いがちな日々の中で、先哲古典の言を踏まえ、仕事の生活とは何か、多面的に考察していく思索集。ビジネスニュースとしてシェアメディア INSIGHT NOW! に連載され、livedoor や goo などからもネット配信された珠玉の哲学エッセイを一冊に凝縮。
哲学
2017.05.23
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2017.07.20
2017.08.02
2017.08.30
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。