14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』シリーズ 〈第3章|価値〉第7話
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さて、設問に移りましょう。玲子は将来、整形手術をして顔を変えたいと言っています。玲子はいま思春期の女の子で、きれいさにあこがれたり、自分の容姿にコンプレックスを持ったり、夢を想像したり、ともかく頭や心があちこちに激しく動く年ごろです。みな、そういう時期を経て、精神的に大人へと向かっていくものですから、いま頭や心にわいてくることを無理やり押さえ込むことはありません。おおいにあこがれ、おおいに想像をふくらませればよいでしょう。そのなかで、「整形したい」という気持ちについては答えを急ぐのではなく、少し時間を置いてみましょう。つまり、じゅうぶん成人になったとき、再び考えてみることにしたらどうでしょう。
というのも、玲子はいま「美を求める心」の第1段階に入ったばかりです。世の中にあるかっこいいものにいろいろ魅了されるまっさかりです。そして自分もそれを持ちたいと思う。それを持つことによって自分もかっこよくなれると思う。自分の容姿に自信がないので、なおさらそう思うわけです。だから玲子は、ある種、熱病のなかで「わたしもきれいになりたい。人から注目されたい」という欲求にとらわれている状態です。
若いころのそういう熱病的な欲求は、ときに夢や志に発展していくので、あっていいものです。しかし、玲子の欲求は少し注意が必要なのです。なぜでしょう───。
たとえば「ぼくは将来、プロサッカー選手になりたい!」という少年の熱病的欲求と、玲子のそれとはどこが違うか考えてみましょう。プロサッカー選手になるためには、長い時間をかけて能力を鍛えていく努力が必要になります。その過程には、失敗も成功も、運も不運もあるでしょう。それを乗り越えていく精神力も欠かせません。ところが、玲子の望みである整形は、手術代さえ用意すれば数時間でそれが手に入ってしまうのです。
少年は鍛えた能力や精神力を自分の内面に残すことができます。たとえプロ選手になれなかったとしても、それらはその後の人生でおおいに自分を助けてくれるでしょう。けれど、整形で手に入れるかっこいい二重まぶたや鼻すじは、いわば部品を買って表面に付けるものであり、内面に蓄積されるものではありません。
玲子はそれによって自信がつき明るくなれると言います。たしかに一時的には気分が高まるかもしれません。しかし、さらに歳をとってくると、今度はくちびるが気に入らないとか、シワが出てきたからシワをなくしたいとか、そんなようなことでまた自分の外見にがまんができないことにならないでしょうか。結局それは、永遠に見た目に支配される生き方になりはしないでしょうか。
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キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。