14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』シリーズ 〈第3章|価値〉第6話
次に、玲子の祖母は桜をどう見ていたのでしょう。おそらく彼女は、自分の死期が近いことを知っていて、散りゆく桜に自分の状況を重ね合わせていたのではないでしょうか。さまざまな生命が生まれては死に、生まれては死ぬ無常の世界で、桜の花が短い間で一途(いちず)に咲こうとするけなげさとか、生命がどこからやってきて、どこへ消えていくのかという不思議さを考えていたのではないでしょうか。彼女は桜を見つめるとともに、自分のこれまでの一生を見つめ、目の前の桜から深い美しさを引き出していたのでしょう。
こうした散っていく桜の美しさは、子どものころはあまり感じられないもので、大人になるにつれ、ましてや死を意識すればなおさら強く感じ取れるようになるものです。これは言ってみれば「大人が見る美」です。ここでいう大人とは、「人生経験や知識を積んだ」という意味です。世の中には人生経験や知識を積むことによって見えてくる美があるのです。
たとえば寺社建築や仏像を思い起こしてください。あなたたちは学校の社会見学や修学旅行でお寺に行き、仏像を見たことがあるでしょう。多くの学生は、ああいったものをまだ「美しい」とは思えないかもしれません。思えたとしても、「なんとなく威厳があって、存在感がある」くらいではないでしょうか。
ところが歳を重ねて、日本の古いものに何度も触れ、忙しい毎日を送り、また歴史や伝統に関する知識が増してくると、お寺の造りがとても優れたものであり、そこがとても安らぐ空間であり、仏像彫刻が奥深いものであることに、ふと気づくときがきます。これらの美しさは、「渋い」とか「粋(いき)である」とか、「慈悲に満ちた」「わび・さび」といった種類に属するものです。これらを味わうためには、どうしても見る人の成熟が必要になってきます。建築物や伝統工芸品、芸術作品などは「大人が見る美」の典型です。
しかし一方で、大人になるにつれ見えなくなる美もあります。それをここでは「子どもが見る美」と名づけましょう。たとえば、昆虫を手に取って、その体のつくりとか動きのしなやかさを食い入るように見つめるとき。あるいは、野原で花をつんで、その繊細な模様に目をこらし、においをかいでいるとき。おそらく、あなたは好奇心に満ちて全神経をそこに集中させ、自然と一体になっています。それはまちがいなく美を感じている瞬間で、子どもにしか感じることのできないものです。多くの大人は成長するにしたがい、そうした好奇心をなくしていき、純粋無垢(じゅんすいむく)にものごとを見つめられなくなるのです。
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14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』
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キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。