1945年3月10日、10万人を超える人的被害を出した東京大空襲がありました。この日を記念して、東京都は条例を制定し「東京都平和の日」を定めました。
今日、3月10日は「東京都平和の日」です。
1945年(昭和20)年3月10日の「東京大空襲」により、多数の人命が失われ、いたるところが焼け野原となりました。被災者の総数は100万人を超えると言います。
東京都は、平成2年に平和国家日本の首都として、戦争の惨禍を再び繰り返さないことを誓い、「東京都平和の日条例」を制定し、3月10日を「東京都平和の日」と定めました。(東京都WEB広報)
「東京大空襲」という言葉を知っていても、その内容を知る人は案外少ないのではないでしょうか。
太平洋戦争が終わって71年。今の東京に暮らしていると、この大都会が焦土と化したことがあったことなど、みじんも感じられません。けれど、太平洋戦争の末期、東京は100回を超える空襲にあっています。その中でもっとも甚大な被害をもたらしたのが、後に「東京大空襲」と呼ばれることになるこの空襲でした。
3月10日の午前0時過ぎ、東京の下町、深川、本所、浅草、日本橋の上空にアメリカ軍のB-29爆撃機300機近くが飛来し、焼夷弾による爆撃を開始しました。その目的は、木造家屋が多数密集する下町の市街地を、そこに散在する町工場もろとも焼き払うことにありました。アメリカ軍は、関東大震災の被災状況などを分析して、延焼しやすい地域を特定していたそうです。そして、日本家屋に火災を発生させるために開発したという燃焼性の高い焼夷弾を大量に投下しました。
焼夷弾の投下範囲は徐々に広げられました。さらに強い北西の季節風によって延焼や飛び火が助長され、結果、東京35区の1/3以上を焼失しました。警視庁の調査によると死者8万人、負傷者4万人、被災家屋約27万棟ですが、実際には警視庁の把握できなかった死者、行方不明者が数万人規模で存在したとの説もあり、人的被害は10万人をゆうに超えるそうです。
さて、両国駅から徒歩10分くらいのところに、横網町公園という公園があります。ここは関東大震災のとき、3万8千人の避難民が火災により焼死したという悲劇のあった場所です。現在では、震災・戦災合わせて16万3千体もの被災者の遺骨が納められた東京都慰霊堂や復興記念館などがあり、震災・戦災のメモリアルパークとなっています。
過去の悲劇を黙って抱え込んでいるようなこの静かな公園を訪れて、かつて人間によって焼き払われた町が本当にここにあったのだということを改めて思い出したい「東京都平和の日」です。
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