学生時代に熱く打ち込んでいたものがある人は、就職に際して、その道へ進むか、それとも普通のサラリーマンになるのか、悩んだことがあるだろう。
学生時代に熱く打ち込んでいたものがある人は、就職に際して、その道へ進むか、それとも普通のサラリーマンになるのか、悩んだことがあるだろう。
アシストで技術を担当している松田圭祐も、その一人だ。松田は大学時代、映像研究会という自主映画制作サークルに所属し、就活の始まった3年の時には会長(リーダー)を務めていた。
「映画制作は、私にとって学生時代の青春そのもの、と言っていいかもしれません。映画制作の場は、俳優、脚本、カメラ等メンバー持ち回りでやっていましたが、主に私は監督として活動していました」。映画監督として、大学在学中に自分の作品を10本撮ると宣言し、卒業ぎりぎりまでになんとか目標を達成したという。
「映像研究会は入部当初からメンバーが少なく、一時は廃部の危機にさらされた時期もありましたが、地道な自主映画制作・上映の活動を通じて、卒業時には30名弱の集団になり、今も存続しているようです。この活動では本当に色んな仲間にめぐり合うことができました」
松田が就職活動をしたのは2007年。リーマンショックが起きたのはアシストへ入社が決まった大学4年生の頃で、一昔前の氷河期に比べればそれほど熾烈な時期ではなく、団塊の世代が次々と抜けていく頃でもあり、松田自身それほど就職活動が厳しかったという意識はないという。そのためか映像関係の方面にいくか、普通に一般企業にサラリーマンとして勤めるか、最後まで悩んだという。
「経営学部だったこともあり、ビジネスの世界にも興味がありました。アシストに決めたのは、創業者(現会長)であるビルさんの存在でした。IT企業ではアシストしか受けていませんが、入社を決めたのは『哲学と信念』に代表されるアシストの経営理念や考え方に強烈に惹かれたからです」と松田は当時を振り返る。
当初営業を希望していた松田が配属されたのは、システムの稼動状態を監視したり、異常が発生した時に関係者に通知するためのソフトを扱う運用システム部門の技術職だった。
「営業希望といっても深く考えていたわけではありません。色々な人に出会い色々なことにチャレンジしてみたいという気持ちが強かったので、むしろ、今やっているフィールド技術という職種は、元々やりたかったことのイメージに近いです。プリセールスで営業に同行しヒアリング・提案する日もあれば、ポストセールスで、実際のサービスを身をもって提供する日もある。またある時は、セミナーなどのイベントを企画し、多くのお客様相手に語る日もある。こんな幅の広い職種ってなかなか無いんじゃないかと思います。もちろん、イチからそれぞれの業務を覚えるのは大変です。苦労することは多いですが、やりがいは感じてます」
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