ワーキングマザーで3人の子持ちといえば思い浮かぶのは勝間和代さんだろう。公認会計士、トレーダーに経営コンサルタントを経て評論家という華々しい経歴を持つ勝間さんは、「わがままじゃありません!子供も仕事も手に入れるのは夢じゃない」、と言い放つ(ワーキングマザーバイブルより)。
アシストにも、勝間さんと同年代で、同じく3回の産休、育休を取得しながら働き続けるワーキングマザーがいる。小島真生は人事総務部に所属し、勤怠管理から社員の健康管理、PCや携帯、サーバーなどの調達管理、福利更生など、総務庶務関係を幅広く担当し、現在はおもに人事採用にあたっている。
「人事総務の仕事は、多様で突発的な対応が多く、社員と直接関わる場面が多いです。スピーディで、かつ大量の処理を必要とされ、段取りや気配りと全体調和の感覚をいつも要求されますので、それに追いつけ追い越せの意識を持ってあたっています」と小島は言う。
小島が入社した1991年といえば、就職は超売り手市場。小島はコンピュータのことなど何もわからないまま、友人のお父さんから「アシストいう会社がいい」という話を聞き、友人に便乗して試験を受け内定をもらった。
「当時ITという言葉はなく、コンピュータはまだ先進的で難しそうな分野でしたがアシストが募集していた部門がコンシューマ向けのPCソフトを販売しているところで、素人の女子大生でもなんとなく想像できる範疇だっだからです。まずサポートセンターで修行して、その後営業にいけると思っていました。IT企業はアシストだけでしたが、他にも大手から複数内定をもらいました。 しかし、自由そうな雰囲気と、面接官に当たってくださった先輩社員の方たちに温かみを感じ、PC経験もないのにここにしようと(笑)。PCも触ったことがない状態で入社して、キーボードも打てず、構造も理解せず、先輩も教育に手を焼かれたことと思います」
業務は電話サポートがメインで、秋葉原の大型量販店の店頭で、製品名の入ったブルゾンを着て販促活動をやったり、フェア等イベントに出展して店頭デモをやったりした。そして入社1年経たずに結婚し、2年目には1人目の産休に入る。
「当時は所属していた部門も全体が若かったし、1人前にもなってもいないのにいきなり休みをとってあきれられてしまいました」。復職後、小島はコンシューマでなく法人向けのUNIX系ソフトウェアのサポートに志願し、初めてネットワークの世界を知る。
「子供が1~2歳の頃です。その後グループウェアの走りであるLotus Notesを、当時の営業部でサポートするためにメーカーの資格を取り、オンサイトの教育セミナーで講師をしたり、某銀行に出向して関連製品のオンサイトサポートを行いました。そのうち、その製品を使って社内でワークフローを作ろうという話がでて、 1人で開発を行ったのですが、これがカットオーバー直後に動かなくなり、大批判のなか、このプロジェクトは製品ごと消えました。組織も解体し、全員転勤の話もあがるなどたいへんでした」
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