全国11箇所に営業拠点を展開する「地域密着型」のアシストが、北海道に営業所を開設して21年。原田直人は1993年の夏、東京本社から出身地である札幌に転勤した。
前職はソフトウェアの開発の会社に勤めていた原田。アシストへは、ある人材コンサルタントの紹介で就職した。
「当時は企業のコンピュータもメインフレームが中心で、コンピュータ・ソフトウェアも今以上に労働集約型の開発に頼ったものでした。業界の『労働力投入型』のスタイルにどうしても馴染めず、転職先について色々と想いを巡らしていた時に、ある人材コンサルタントの方を通じてアシストの存在を知りました。当時のアシストの採用面接は部門採用担当者、グループ企業ごとで行われ、担当者がサークル状に志願者を囲んでオーディション形式で行われるというもの。幸い面接では2部門の部門長が手を上げてくれてその内の1部門に採用が決まりました」
こうして東京の本社でオンラインプロダクト製品を担当した後、4年目に出身地の札幌にUターンする。
「当時、札幌に常駐していた技術者の方が本社へ戻ることになり、その交代要員として技術担当として異動しました。最初のオフィスは中央区南3条西1丁目、ススキノ歓楽街に隣接するビルでした。当時の担当者からは、札幌で一番有名な場所にオフィスを開設すれば間違いないと考えたと聞いています。日中は社員3名の静かなオフィスですが、夕方になるとオフィスにお立ち寄りいただくお客様でオフィスが賑わったのを覚えています」
札幌に営業所を開設する前、アシストでは営業担当者が東京から定期的に北海道の顧客先へ訪問したり、場所を借りて「アシスト札幌サロン」と呼ばれる集まりを開催していた。このサロンは夕方から始まり、親睦を兼ねて参加者は軽く飲みながらコンピュータの技術動向やユーザ事例などの勉強会をするというものである。そうした活動のなかで、アシストが札幌に営業拠点を作ったら製品を購入しましょう、と言って下さるお客様が現れたことが後押しとなって1991年、札幌営業所が開設されたという。
「先日、あるお客様から、あの頃は無理やりアシストとの打ち合わせを夕方に作ることが多かった、と、当時を懐かしむ打ち明け話を伺いました。90年代前半、アシストの製品の多くはIBMのメインフレーム・コンピュータで稼働するものでした。私は国産メーカーのマシンでも稼働したEasytrieveを主販売製品に位置づけて営業活動していましたが、それでも東京と比べると、北海道でメインフレーム・コンピュータを利用されている企業は圧倒的に少なく、ユーザやプロスペクトで使用している機種などの情報は暗記できるくらいの数しかありませんでした」と原田は当時を振り返る。このススキノに隣接した最初の札幌オフィスは、原田が転勤して半年後、現在の札幌駅近くに移転となった。
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