「水曜ノンフィクション」4.9%。「久米宏のテレビってヤツは!?」5.5%。2008年11月19日の番組視聴率である。関口宏、久米宏・・・・大物MCを起用した民放の報道ドキュメンタリーが、どうも大コケのようだ。このところの視聴率は、5%前後。ゴールデンという時間帯を考えると、結構辛い。
大物MCで視聴率が獲れない。
どんな立派な肩書きのクリエーター達を使っても、売れる広告は、作れない。
テレビや広告業界に蔓延している病があるような気がしてならない。
それは、出てるヒト、作ってるヒトが、結局、あまり変わらない風土病だ。
そこには、「昔は、凄かった」ウィルスが猛威を奮っている。
1970年代1980年代の流行歌をまとめたCDが売れている。
広告からは、その頃の時代の歌がリバイバルで活用される。
その商品企画をやっているのも、買っているのも、その世代。
広告代理店の会議に参加すると、
その時代に頑張った人達(私も当人である)が、
未だに幅を利かせている。口を出す。
そのくせ、若い奴が出てこないと嘆いていたりもする。
そんな人達は、口に出さずともみんなこう思っている。
「昔は、凄かった」「俺は、凄かった」と・・・。
だからテレビから流れて出てくる全部が・・・
「昔は、凄かった」と連呼しているように見えてくる。聞こえてくる。
それが、テレビ凋落の根本的原因ではないかと思うわけだ。
・・・と、そんなことを感じていた矢先。
新幹線の中で「元プロ野球選手・村田兆治さん」のインタビュー記事(WEDGE11月号)を読んだ。
その珠玉の言葉に、テレビや広告業界は、学ぶべきことがある。
ロッテ時代に豪快なマサカリ投法で一斉を風靡した名球会メンバー。
昔の野球小僧なら、みんなが憧れた存在だ。
来年で還暦。
1990年に引退後は、プロ野球解説をしながら、20年にわたり離島の子供達に野球を手弁当で教えてまわるという活動をされている。
また、プロ野球のOBで構成されるマスターズリーグでは、140キロの剛速球をいまだ投げ続けている。年老いたプロ野球選手達の「草野球」に、独り「プロ野球」選手として挑み続ける勇姿を見たヒトは多いのではないだろうか。
村田兆治さんは、なぜ、140キロの球を投げることにこだわるのか?
その答えが、秀逸である。痺れる。
「『俺は、昔はこうだった』と言ったところで、聞いた人は『あんた、今やってみせろ』って思うでしょう。やってみせることで、それが事実だとわかる。だから、やれないのは、評論家なんだ。そんな人の言うことを、本気で聞くわけがない」
「『こうしてごらん』と教えるとき、話しだけ聞かせてお茶を濁すのも一つの方法だけど、実際に、見せなきゃ子供だって聞くわけがない。私は『昔は凄かった』じゃなくて『今が凄い』って言われたいんです」
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有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役
昭和30年代後半、近江商人発祥の地で産まれる。立命館大学経済学部を卒業後、大手プロダクションへ入社。1994年に、企画会社ペーパーカンパニーを設立する。その後、年間150本近い企画書を夜な夜な書く生活を続けるうちに覚醒。たくさんの広告代理店やたくさんの企業の皆様と酔狂な関係を築き、皆様のお陰を持ちまして、現在に至る。そんな「全身企画屋」である。