ビジネススクールに必ずしも通う必要はないが、ビジネススクールが必要な理由について考えてみたい。
ビジネススクール、MBA(Master of Business Administration)、経営大学院などの話をすると風当たりは冷たいように思われる。年間のMBAの日本人入学者数は日本内外で2,000名程度ではないだろうか。入学者と同数の卒業生が毎年生み出されるとして、労働力人口において30年代のビジネススクール出身者が活躍していると仮定すれば、その数は6万人である。これは約6,700万人の労働力人口の1,000分の1、あるいは、0.1%に満たない。これでば、ビジネス教育を受けた者が、肩身のせまい思いをしても仕方がないかも知れない。
一方、アメリカではどうだろうか?正確なデーダを持たないので大雑把に推測してみたい。アメリカには200校以上のビジネススクールがある。毎年各校平均200名程度のビジネスリーダーの卵を生み出しているとすれば、毎年の卒業生は4万人である。30年代分であれば120万人となる。これはアメリカの労働力人口1.5億人の1%弱に当たる。
アメリカはビジネススクール発祥の国であり、人口も日本の2倍以上である。さらに世界中から優秀な人材を集め、高等教育や専門教育においてアメリカは世界をリードしている。
それにしても日本とアメリカのビジネス教育を受けた人口の差は明らかである。概算ではあるが、いくつかの前提を置くことで、大まかに実体をつかんいると言えそうである。
日本においてビジネス教育を受ける人口は、今の数倍あって良いであろう。2000年以降、国内のビジネススクールも注目を集めているが、まだまだ発展の余地はあるだろう?学生の数とともに、ビジネススクールの数が倍になっても良いということにもなるだろう。
日本では少子高齢化が避けられないことが、なかばあきらめのように語られている。21世紀半ばには2人で1人の高齢者(我々)を支えなければならないのであれば、人々はより効率的に働かなければならない。また、将来高齢者になる我々自身がもっと効率的に働き、高齢者を支えるとともに、老後の生活に対する蓄えをしなければならない。
人一倍富を蓄えて、人一倍豊な老後を独り占めしようなどということではなく、富を社会全体に適切に配分するビジネスリーダーの活動が不可欠である。また、その活動は日本国内に限った活動ではないだろう。人口の減少が続くとすれば、国際社会において日本の経済規模、地位、発言力は相対的に低下する。その中でいかに価値を創造して、富を拠点のある国内に呼び込むことができるかがビジネスリーダーに求められるであろう。
医者、弁護士、官僚、政治家なども社会において重要だが、今日の地球規模の自由競争社会において、経済や産業をリードする人材なしに、その他の人材がいくら充実してもあまり意味がないように思われる。
将来の問題や不安を解消するために、数校のブランド力のあるビジネススクールだけが頑張れば良いという問題では決してないようである。 (次回に続く)
【V.スピリット No.96より】
V.スピリット総集編5
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