ビジネススクールに必ずしも通う必要はないが、ビジネススクールが必要な理由について引き続き考えてみたい。
「経営を教えることはできない」、「経営者を訓練することはできない」、「起業家を育てることはできない」と言う人がいる。ある意味において、これらの意見は正しい。
人材は、育てられたり、訓練されたりするのではなく、自然に「育ち」、自発的に「学ぶ」という側面がある。
戦後の日本はホンダの本田宗一郎氏やソニーの井深大氏など日本を代表する優れた起業家・経営者を生んだ。両氏を含めて、日本を代表する優れた経営者がビジネススクールで経営の教育を受けたという話はあまり聞かない。確率的に言えば400万社強の企業数に対して4,000人もビジネス教育を受けたトップ経営者がいて、役員として2万人もいれば、多い方だということになるのではないか?
感覚的にそんなにビジネス教育を受けた経営者がいないと感じるが、偏見だろうか?それはビジネス教育の限界を示しているようでもあるが、一方でビジネス教育産業の潜在的市場規模を示すものでもあるだろう。
人には3つの価値基準がある。それは「好き・嫌い」、「良い・悪い(善・悪)」、そして、「適・不適」という基準である。こらら3つの基準によってビジネス教育を受け、ビジネスリーダーを目指す人々が一定数以上いないということは、貯蓄率が低いことにも似て、将来の危機を予見することにもなるのではないだろうか?
日本の現状は、人々の「適・不適」という基準によってビジネス教育が選択されていないようである。それは労働者である我々の問題意識(危機意識)の問題でもあるが、教育機関の問題でもあるだろう。つまり、大切な将来を委ねるほどの教育機関、教育プログラム、教師がいないということなのだろう。絶対数が少ないという問題もあって自分に適したモノがないということなのだろう。
ビジネス教育は、義務教育ではないので、国など公的な関与は限定されるはずである。また、ビジネス教育の対象が主に民間企業の管理や運営であるため教育内容に関しても公的な機関が関与できる割合は限定されることだろう。しかし、そのような環境的な制約は、ビジネス教育が必要ないということを意味するものではない。これは「良い・悪い(善・悪)」の基準でしか判断しえないものであろう。
「小さな政府」、「民間にできることは民間に」という政治の流れは、このような議論と矛盾しないし、少なくともビジネス教育を抑制するものではないはずである。 (次回に続く)
【V.スピリット No.97より】
V.スピリット総集編5
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