善意を実行する際の葛藤について考えてみたい。
例えば、業界のモラルが低下していて、景気の低迷や売上の停滞から企業には受注出来さえすれば良いという考えが強まり、公的機関においても馴れ合いや単調な職務遂行などによって監督力が低下しているとしよう。そんな業界に一人の有能な人材が現われて、業界を変革しようとして、新たなビジネスを始めたらどうなるだろうか?
業界の規模が大きいほど、有力な業者の力が強いほど、力関係や取引関係などが確立しているほど、変革者の行動は困難に直面するだろう。強い圧力を受けて挫折してしまうことも多いだろう。強い抵抗を受ける以前の段階で自ら、あるいは無言の圧力によって思いとどまることも多いだろう。既にあるものを変革することや新たな価値を創造することは困難なものである。
しかし、まれに変革を実現するような人材は現われる。才能なのか、着眼点や先見性なのか、戦略なのか、運なのか、要因を分析することは困難だが、そういう人材は多くはないが、現われる。一代でゼロから、あるいは、小規模な営みを大規模な活動に成長・発展させる実業家などである。日本でも、世界でも、そのような変革者の例を見つけることは決して難しくない。
そのような変革者はどのように変革を成し遂げるのか?共通して言えることは、周囲や業界の嫌われ者、あるいは、異端児的な存在であり、称賛と一緒に多くの批判や非難を受けていることが多いということである。
変革者は業界の既存の事業者から顧客を奪い、同業他社の事業を圧迫して、競争業者を、意図していないにしても、破綻させてしまうこともあるだろう。変革者との競争に敗れた企業の経営者はもちろん、そこで働く社員や取引先などの生活は悪影響を免れない。
変革者は、競争業者にとっては悪魔のような存在なのかも知れない。しかし、変革者も、新たな変革の波から逃れることはできない。
変革をもたらす根源にあるのは「善意」である。それがその他の資質、能力、知識、経験などが組み合わされて変革の力を生み、変革者を導くのだろう。そのような変革のプロセスにおける原動力は「怒り」だと言われることもある。
善意が実行される時、究極の善意の争いが始まる。そのような究極の善意を競う争いは、悪意による争いにも似ている。
【V.スピリット No.74より】
V.スピリット総集編4
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