近代化と人権の抑圧(後半)

画像: ハリエット・ストウ(小説家)

2025.11.14

ライフ・ソーシャル

近代化と人権の抑圧(後半)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/歴史的な差別を近代が解放した、というのは、捏造された近代の神話だ。むしろ近代化こそが、人間の標準理想像をあまりに狭く画一的に定義したために、同調圧力によって、そのミドルクラスモラリティから漏れる人々を社会から排除し、かえって人権抑圧を引き起こした。この独裁者無き全体主義と戦うために、多くの人道思想家たちが自分自身の人生を賭けて奔走した。/

26.13. 第一次世界大戦:1910年代

 普仏戦争に勝利し、統一を達成したドイツは、先進国の英国と同盟してフランスが報復してくることを恐れ、1882年にかつての神聖ローマ帝国の大ドイツ構成国のイタリアやオーストリアと三国同盟を結び、相互安全保障を確保しました。予想どおり、フランスは英国だけでなくロシアとも関係を強化し、大ドイツを包囲しました。イギリスのSF作家H・G・ウェルズ(1866-1946)は、1898年、謎の異星人が突然に地球を侵略するという『宇宙戦争』を発表しました。オーストリア領プラハの会社員、カフカ(1883-1924)も、『審判』や『城』といった悪夢のような不条理小説を書きましたが、公表はしませんでした。スイスの精神科医ユング(1875-1961)は、1899年のフロイトの『夢判断』に影響を受け、人間や国家は多様な現実体験を理解するための原型として機能する集合無意識をあらかじめ持っている、と気づきました。そこで彼は神話やオカルトの研究を行いました。

「人々は、不条理な悪夢が近づいていると感じていた」

 1914年、セルビア人がオーストリア皇太子を暗殺し、オーストリアがセルビアに宣戦布告すると、ロシアは同じスラブ民族として参戦し、フランスとイギリスも大ドイツに対する戦争に巻き込まれました。しかし、オーストリアとの国境紛争を抱えていたイタリアは寝返り、オスマン帝国は大ドイツ側につきました。長年大ドイツを脅威と見ていたH・G・ウェルズは、これを「戦争を終わらせる戦争」として歓迎しました。しかし、両陣営は軍事力だけでなく、産業力や経済力も総動員し、塹壕戦の膠着状態に陥り、機関銃や毒ガス、空爆などで、兵士だけでなく市民にも多数の犠牲者が出ました。

「産業革命は大量破壊兵器を生み出し、市民をも戦争当事者に変えた」

 福祉資本主義として、ヘンリー・フォード(1863-1947)は、アメリカで安価なT型車を開発し、労働者に平均日給の倍の賃金を支払って、彼らも車を買えるようにし、需要を創出しました。彼は、ヨーロッパの仲介役を務めようとして、1915年には有力者を乗せた「ピースシップ(平和の船)」で会議を開きました。しかし、大統領やエジソンなどの多くが乗船を辞退し、ハンガリーから招かれたユダヤ人フェミニストのロジカ・シュヴィマー(1877-1948)が傲慢な態度で会議を引っかき回したため、メディアはこの計画を「フールシップ(愚者の船)」と嘲笑しました。フォードは、平和運動から手を引いただけでなく、戦争はすべてユダヤ人の陰謀だ、と疑うようになりました。

「彼女はその船でいったい何をしたんだ? 人の善意をひっくり返してしまうなんて」

 戦火に荒れるロシアでは、1917年2月に農民と兵士によって革命が偶発的に起こりました。しかし、彼らは合意形成できず、混乱が続きました。敵対する大ドイツは、スイスに亡命していた革命家のレーニンを封印列車に乗せてロシアに送り返しました。ロシアは内戦に突入し、ヨーロッパの大戦から離脱しました。一方、ヨーロッパでは、スペイン風邪が大流行し、両陣営とも戦闘力を失いました。ドイツでも革命が起こり、最終的に1918年に数千万人の死者を出して戦争は終わりました。

「それは、ただ国々の消耗でしかなかった」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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