/21世紀も四分が過ぎた。もはや過去の経験が通用しない。ビジネスもライフスタイルも、新しいものに変えていく必要がある。だが、いまはまだ過渡期だ。あと二、三十年は、古い連中の古い権利や法律でがんじがらめで、新しいチャレンジができない。それまでは、せいぜい経済依存を落として、耐えるしかない。/
21世紀も四分が過ぎた。もはや過去の経験が残像としてすら通用しない。ビジネスもライフスタイルも、新しいものに変えていく必要がある。
たとえば、自由貿易。帝国主義の植民地時代だと、関税は戦争の元だった。しかしいま、世界の均衡、それどころか物資や製品の輸送コストを考えると、地産地消の方が理想的だ。いまだに海外の会社まで買収して規模効果や品質向上を訴える企業があるが、それによるマージナルなベネフィットは、向後も生じるであろう国際紛争のリスクの火だねを消し続けるコストに、もはや見合わない。経営者として頭が古すぎる。まして食料などの生活必需品となると、国外、地域外に依存すると、流通障害(買い占めなど)や物流障害(輸送不能など)に伴うリスクが幾何的に増大してきている。だから、関税があろうとなかろうと、できるだけ地域経済に縮約して自立できるように方針転換するのが、当然。
これは個人生活でも同じ。テレビでもなんでも、いまだに人にモノを売りつける話ばかり。まあ、昔は、知らない、持ってない、食べたことがない、行ったことがない=恥ずかしい、だったのかもしれないが、それこそそんなの知ったことではない。それより、おカネが大事。そりゃ世の中には良いモノ、おいしいモノもあるだろう。だが、自分の身の程からすれば、ムリ。それ以上でも、それ以下でもない。世界が違う、としか言いようがない。ムリをすれば、破綻して奈落の底、ホームレスまで堕ちていくのは必至。生活防衛のためにも、バカどもの自慢話なんか、バカにして相手にしないのがいちばん。
しかし、みんながみんな、そんな生活をしたら、経済が回らないだろう。たしかにそうだ。だが、そんなの、それこそ自分がごとき小民の負える話ではない。むしろもう経済が止まっていくのがわかっているなら、我先に逃げ出して、経済依存度を減らすことを考えないといけない。そもそも前世紀的生活は、電気ガス、上下水道、交通手段、ゴミ収集、それどころか、日々の食品食事まで、すべてを社会インフラに依存してきた。言わば、生きながら、いくつもの点滴管で生かされているだけのスパゲティ状態の瀕死者。その老朽化や災害リスク、社会リスクで、これからこれらのどれがいつ止まるかわからない。そして、そのうちのどれか一つでも止まっただけで、中に生活手段のなにもないコンクリ箱の一室でなんか暮らしていけるわけがない。
仕事も経済規模に依存しすぎている。みんなやたら忙しがっているが、本質的にはなんの価値も生み出していない。そのほとんどが、どこかから広く薄く利益をかすめとってきているだけ。その利権の奪い合いで、人と争い、他社とぶつかり、人生を磨り減らしているだけ。自然から産物を得る、生産者から消費者へ橋渡しする。医者や教師、職人やサービス業なども、先人に学んで、その技を人や物に施し、後世に伝える。本来の仕事はまったくシンプルだ。これらに対し、いろいろ屁理屈をこねても、ややこしいところから大金を引き出しているのは、もともとヤクザ同然のピンハネ。いましばらくはともかく、経済規模そのものが縮小すれば、水源も涸れる。たとえば、街が荒廃したとき、どうしてまだ家賃収入が得られると思うのか。本や雑誌、テレビなどのメディアが衰退して、どこに著作権料があるのか。
百日一考
2023.01.17
2023.04.29
2024.03.22
2024.04.07
2024.10.16
2025.01.03
2025.01.14
2025.01.18
2025.02.16
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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