/模写しても、トレスしても、その魅力の根源は、写真家とモデルが切り結んだ創造的セッションに凝縮されており、模写やトレスの加工にあるのではない。だから、模写者やトレパクラー、イラストレーサーが、それを自分の「作品」だなどというのは、あまりにおこがましい。/
誤解の原因は、古い「現代」芸術、元祖芸術系タレントのアンディ・ウォーホルのポップアートあたりにあるのかもしれない。1962年、モンローの死の直後から発表し始めた大量の『マリリンのディプティック』は、たしかに、彼女の代表作『ナイアガラ』(1953)のもっとも有名な宣材を奇妙に安っぽい色使いのシルクスクリーンで表現したもの。
これは、当時、当然に激烈な著作権論争を引き起こした。ところが、当事者が流用を黙認するという曖昧な決着に。もともと米国は、著作権が著作権ではなく、商業的な複製権であるなど、このあたりの法整備が不十分だったこともあるが、ウォーホルの「作品」(芸術的アクション)は、マリリン・モンロー本人を差し置いて、セックスシンボルに祭り上げ、亡くなってもなお、そのゴシップのシミュラークルを大量に複製してきた映画業界とマスメディア、世界に対するアイロニーになっており、モンローが死んだ、だが、劣化複製は増え続ける、という大仕掛けのメタな表現、レクイエム(鎮魂)としての意義に芸術性があった。
しかるに、その後、そのウォーホルの制作様式の表層だけマネたポップアートも大量に出現した。それらはそれらでまた、その後のウォーホルの安直な芸術タレント活動を揶揄するものでもあり、また、彼自身、「誰でも15分は世界的な有名人になれる」「誰でも15分で世界的な有名人になれる」「僕の作品の裏側には何も無い」と、自分が薄っぺらなシミュラークルのインスタントアート、インスタント・アーティストであることを自嘲し、莫大な遺産、自分の「作品」の「著作権」は、ほとんどすべて後進を育成する芸術振興財団に寄付してしまった。
しかし、ウォーホルが使ったのは、もともと大量複製の、芸術性のかけらも無い、モデル本人も嫌うような虚像としての写真であり、それを劣化させてさらに大量複製することが、その大量複製に対する批判になっていた。その模倣も、当初はウォーホルを批判する意味を持ったが、やがてその原義が忘れられた。それで、やがて、あのウォーホルがやっていたんだから、自分だって、などという、自嘲する反省力も無い、15分だけのインスタント・アーティストの方が大量に沸いて出てきた。そして、それらを、芸術も知らず、審美眼も無い連中が、ポップアーティストとして押し上げた。
いまの時代、優れた作品でありながら、著作権が切れて忘れられた絵画や写真はいくらでもある。フリーで提供して、進んでコラボを求める作家もいる。温故知新、暮雲春樹で、高山流水を知れば、他人の芸術的な努力や才能を盗み奪うのではなく、時間空間を隔ててなお、同じアーティストとして比肩し、その芸術性を再認識して蘇らせ、なお一層の創造に寄与することもできる。
芸術に志すなら、世俗的なカネや名誉よりもっと大切な、もっと崇高なもの、それこそがめざすべきもの。そして、それにはまず、写真といえど、その向こうにある写真家やモデルの芸術性を、もっと自覚し、敬意を払うべきではないのか。
解説
2020.11.07
2021.08.04
2022.01.04
2022.01.13
2022.02.01
2022.02.22
2022.03.02
2022.04.21
2022.05.06
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。