2)顧客単価をあげることがすべてではない。
ただ、次のような「個別性の高い」教育サービスはいかがでしょうか。
・予め何千通りものパターンの教材を作っておく。
・サービス提供者は、お客さまのレベルをある一定期間ごとで判断し、適切な教材の組み合わせを選択して提供する。
これなら、「一人ひとりにあった教材」である一方で、教育サービス提供者からすると「すべてその人のために」サービスを提供しているわけじゃありません。
こんな教材が評価されれば、大勢の顧客も集まりますから、結果、廉価で質の高いサービス、かつ、教育サービス従事者の給与をある程度の水準に持ち上げることが可能です。
昨今の学び手は、「すべてがすべて、その瞬間瞬間で、自分にピッタリの」という要求水準でいる方が多くなってきている感はあります。
だとすればしょうがありません、サービス単価を高いものに設定するしか。
ただ、本当にそんなサービスが良いサービスでしょうか?
「すべてがすべて、その瞬間瞬間で、自分にピッタリの」ものを与えられる環境は、正直「教える」行為が限りなく100%で、「自ら学ぶ」部分がほとんどなく、教育効果としても少々疑問なんですよね、個人的な感覚としては。
教育サービス提供者は学ぶ機会と材料のみを提供し、学び手はちょっぴり苦労する部分もありながら自ら学んでいく部分もあるようなサービスの方が、教育効果は高いと思えますし、さらに費用的な心配も余りしなくてよい、という間接的なメリットも享受できると思うんですよね。
今日の最後に。
すべてがすべて、子どもの性格や学力に見合った教育を、第三者(教育サービス提供者であれ、学校の先生であれ)に求めるのは、家庭教育の放棄です。
僕はわが子に、すべてわが子のレベルや性格的な部分まで合わせてくれる教育サービスなんて、絶対に与えたくないですね。
そんなの、四六時中わが子のことを見ているわけではない第三者に分かるわけ、ないですから。
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