「教育産業」というカテゴリ、日本社会でそれなりに言語としては認知されているかと思います。 しかし、その認知下での「教育産業」の中の、一個人として、日本社会で本当に教育産業が成立しているか、というと、「否」と答えます。 その理由は…教育の本質について考える材料にも。
日本にはまだ、教育産業がない。
感覚的にそう思っています。
#世界については勉強不足で、あるといえるのかいえないのか、わからないのですが。
一部の、個人で行っている教育機関(私塾など)で、真の意味での教育を生業としている民間機関はあるとは思いますが、「産業」として成り立つほど日本国内に「教育」は根を下ろしてはいないと感じています。
自分の所属する会社のことから申し上げた方がいいですね。
Z会は、教育産業ではなく、受験産業の域を脱していない、というのが、「中の人」として見た正直な感想です。
産業の冠につけるのは、冠に出資する行為が認められ、だと思うのですが、Z会の教材を購入する際の顧客行動として、「教育」ではなく「受験」に対して、というのが、偽らざる現実でしょう。
もちろん、「教科教育」という意味合いでは、日本一のスタッフが揃っていると思っていますし(決して宣伝文句じゃなく、僕自身が教材編集に7年間携わった経験からの、偽りのない感想です)、教科教育を越えて、お客様に教育的価値を与えたい、と思っている(そして出来る範囲で実行している)スタッフも大勢いますが、企業としてトータルで見せる姿や、お客様がZ会の教材・サービスを購入する動機としては「質の良い教育」ではなく「受験に合格する」という価値、というのが現実でしょう。
#実際、「Z会」で想起するイメージのNo.1は、アンケートリサーチなどでも「難関大学に合格する教材」ですからね。
脱線しますが、自虐的に語っているのではなく、「正直」に述べているだけですので、誤解なく…。
いやZ会には受験だけの企業になってほしくない、とか(後述しますが、僕自身もそう思っています)、スタッフがそんなこと言うなんて情けない、という意見は、筋違いですので。
閑話休題。
受験産業の他、「教育産業」として半ば強引に括られる産業に含まれる現実の産業として、「受験産業」の別の価値に「保育産業」があると感じています。
つまり、育児の代わり。保護者が子どもにかまうことができない、あるいは、保護者が自分の時間を作りたいがゆえに、子どもを塾に行かせたり、子どもが一人でも遊んでくれるような教材に手を出したり。
感覚論ですいませんが、「受験産業」は成熟ないしは若干衰退しつつありますが、「保育産業」はどんどん伸びていると感じています(そしてそのように感じる方は、決して少なくないと思います)。
あとは、産業として成立しませんが、「(学習)補助」という形態も、(教育産業といわれるものの中に)あるでしょうね。
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