レバノンに逃亡したゴーン被告の記者会見が行われましたが、その内容は自己弁護と激しい日本の司法批判に終始し、対する日本からは批判の声が多く聞こえます。ゴーン会見からは何も新たな情報は無く価値がないと評する司法専門家や、犯罪者のくせに自己弁護と自画自賛ばかりで許せないと声高に反発する、日本のおじさんたちとグローバルコミュニケーションのギャップを感じました。
3.「謝ったら負け」の世界に謝罪を求める愚
外資の常識では「自分の過ちを認めたら負け」などともいわれます。私は外資系企業勤務の方が長く、またヨーロッパやアメリカだけでなくアジアの企業とも取引をしてきましたが、正確に言うと「謝ったら負け」なのではなく、「いわれ無き批判でも否定しなければ肯定」と考えるべきだと思っています。
自分の業績アピールをできず、転職面接で「そこそこ業績を上げてきました」的な謙遜をしてしまうような、典型的日本人の美徳を備えた物腰は、グローバル環境において理解されることはないでしょう。
つまりきちんと主張すべきアピールができない=能力が無い=ダメ=間違っているという価値観です。そのために盛りに盛って自らが会社すべてを動かしていたかのようなとんでもない大ブロシキを広げるアピールも何度も聞きました。しかし聞く側はただのバカではないので、そのプレゼンを鵜呑みにすることはありません。自らの眼で、その真偽や説得を検証し、自ら判断する(できる)人物が評価します。
ゴーン氏が自画自賛会見をすることはしごく当然であり、その場で「新たな情報が無い」など全く意味をなさない批判ではないでしょうか。訴えをアピールしたい相手はこうした日本的価値観に基づく日本人ではなく、そのようなグローバル環境を共有できる日本「以外」だからです。英語とフランス語に加え、アラビア語??までまじえて説明するゴーン氏に対し、日本の対応はどうだったでしょう。
4.グローバルコミュニケーションとパフォーマンス
会見のあった深夜、森法務大臣も会見を開き、ゴーン氏を批判しました。このタイミングで意見表明できたことは非常に素晴らしかったと思います。タイムリーに発さなければ意味が無いメッセージですから、ここまでは大成功ですが・・・・・
結局森法務大臣の会見、中身がありませんでした。単に「適正な法的プロセスに基づいている」「三権分立」といったお題目を唱えるだけで、少なくともグローバルスタンダードに照らして、日本の司法制度が間違っているというゴーン氏の主張への否定にはなっていません。
謝罪会見で「遺憾に思います」という言葉がいかに虚しく、何の説得力も持たないかは自明です。いくらベストタイミングの反論か意見であっても、反論の内容そのものに意味があるとは思えませんでした。これではゴーン氏の批判にロジックを組み立てて反論できない日本というメッセージになりかねません。
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2009.02.10
2015.01.26
株式会社RMロンドンパートナーズ 東北大学特任教授/人事コンサルタント
芸能人から政治家まで、話題の謝罪会見のたびにテレビや新聞で、謝罪の専門家と呼ばれコメントしていますが、実はコミュニケーション専門家であり、人と組織の課題に取組むコンサルタントで大学教授です。 謝罪に限らず、企業や団体組織のあらゆる危機管理や危機対応コミュニケーションについて語っていきます。特に最近はハラスメント研修や講演で、民間企業だけでなく巨大官公庁などまで、幅広く呼ばれています。 大学や企業でコミュニケーション、キャリアに関する講演や個人カウンセリングも行っています。