/アルプスの山々の奥深いザルツブルクにいながら、トラップ大佐は、じつは潜水艦乗り。仕事を失い、腐っていたが、ある日突然、国際社会の中心人物となってしまい、その争奪戦に巻き込まれる。というのも、彼の亡き前妻の父親が、世界の命運を決めるような、とんでもないものを隠し持っていたからだ。/
しかし、1938年3月11日、ヒトラーが、起こってもいないウィーン暴動を口実に戦車隊で侵攻、シュシュニックも逮捕されてしまう。これを見て、イタリア・ファシズムのムッソリーニは、ドイツとの対決より妥協を選び、オーストリア、とくにチロルは、ポーランド同様、世界から見捨てられることになる。ヒトラーが、第一次世界大戦で成功したオーストリアの潜水艦隊による海上封鎖を狙っていることは明らかだった。ましてトラップ大佐のようなオーストリア大ドイツ主義者こそ、ナチスドイツにとってまっさきに取り込むべき身中の敵。それゆえ、トラップ大佐を亡命させることは、カトリックやイタリア、英国、そして米国にとって、急務となった。
周到な準備の上、山の雪解けを待って、6月、計画は実行に移される。彼らの実際の亡命ルートは、ザルツブルクから国境沿いにホーホケニッヒを山越えしてツェル・アム・ゼー(トラップ氏の前の屋敷)へ。ここから、ツェル・アム・ツィルタール(母マリアの故郷)へ移動。ふたたび山越えして、サン・ジョルジオ(ブルニコ)にしばらく潜伏。ここで、一家は、トラップ氏のアドリア海ザダールの出自を根拠にイタリアの国籍を得る。その後、これを利用してロンドンへ、そして、アメリカへ。一家の入国記録は、アメリカ公文書館のものが、すでに公開されている。
この地方の地形は、地図で見るほど簡単ではない。ザルツブルクから出るにも、南に通じる道は細い谷しかなく、ナチスが彼らを街から出すわけがなかっただろう。また、オーストリアから出るにも、まちがってもブレンダーノ峠を通るわけがない。その一方、山には、国境もなにもない、世界に通じる自由な道がある。しかし、それは山に登る者だけが通ることのできる道だ。
このルートと、バルカンの国籍を捏造する方法は、彼らだけでなく、その後、ナチスドイツからのユダヤ人亡命ルートとして大いに用いられていたと思われる。南チロルは、ドイツ系住民とイタリア系住民の関係が複雑で、母マリアが自伝を書いたころにおいても、地元協力者の詳細を明かすことははばかられたのではないか。
(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学vol.1 などがある。)
映画
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。