/アルプスの山々の奥深いザルツブルクにいながら、トラップ大佐は、じつは潜水艦乗り。仕事を失い、腐っていたが、ある日突然、国際社会の中心人物となってしまい、その争奪戦に巻き込まれる。というのも、彼の亡き前妻の父親が、世界の命運を決めるような、とんでもないものを隠し持っていたからだ。/
だが、これだけでは終わらない。映画を嫌っているトラップ一家の話ですら、怪しい。映画に便乗してロッジを宣伝している今のトラップ一家の話と、まだ生存している老娘マリアの証言は食い違う。さらに、母マリアの自伝も、まったく異なる。トラップ家の執事がナチスシンパのスパイだったのは、よく知られたエピソードだが、母マリアにしても、本人に自覚があったかどうかはともかく、もともとはカトリックからトラップ家に送り込まれた情報係だ。結婚してから後は、マリアが情報提供を拒否したのか、代わってワズナー神父が張り付くことになる。
いずれにせよ、一家の亡命については、トラップ氏とワズナー神父が手配したことであって、実のところ、母マリアさえも、なぜ、どのようにして亡命したか、については、きちんとは理解していなかったのではないか。いや、トラップ氏やワズナー神父ですら、その背後で動いたカトリックとイタリア、英国、米国の政治的な思惑と組織まで、把握しきれていなかっただろう。
トラップ氏は、もともとアドリア海にある小港ザダール(当時はこのあたりまでオーストリア領)の、ただの海軍軍人一家の次男に過ぎない。ところが、彼が渡航先で偶然に出会って恋に落ちた相手が、イギリスの天才的な艦船工学者ホワイトヘッドの孫娘だった。このため、彼は、彼女との結婚によって莫大な財産を相続することになり、潜水艦艦長として、叙勲されるほどの戦果を挙げる。この財産そのものは、大不況の影響で、そのほとんどを失ってしまい、映画のころには、上述のように自宅をホテルにして生活をやりくりしているような状況。第一次大戦敗北で海を失ってしまったオーストリアという国の海軍大佐など、仕事があろうはずもない。子どもたちに八つ当たりしながら、ホテルの客相手に歌でも歌っているくらいしか、することがなかった。
ところが、ロンドンの銀行の金庫には、ホワイトヘッドの英国艦船に関する資料が眠っていた。いまだ英国とドイツは開戦前夜であったため、トラップ氏がナチスドイツ傘下に入った場合、かえって合法的に、この資料をナチスドイツに引き渡さざるをえない状況だった。イタリアの立場も微妙だった。ムッソリーニは、かならずしも大ドイツ主義を好んではおらず、ブレンダーノ峠では、いつでも戦車隊がドイツへ進撃できる体制にあった。まして、カトリックは、反宗教的なナチスとの距離を測りかねていた。
そもそも、この時期、オーストリアは、けっして民主主義国家などではなく、オーストリア・ファシズムによるオーストリア主導の大ドイツ主義(つまり逆にドイツを吸収する)が流行しており、ドルフース、そしてシュシュニックと、独裁首相が支配していた。トラップ大佐自身、子どもたちの厳しいシツケを見ればわかるとおり、けっして善良で平和な民主主義者などではなく、むしろ典型的で極右的な大ドイツ主義のタカ派の軍人。へたれのナチスドイツなんかオーストリアが呑み込んで、北に海を取り戻そう、そうすれば、潜水艦乗りのオレだって、こんな山の中に埋もれておらず、もっと活躍できるのに、というところ。
映画
2017.11.01
2018.02.28
2018.03.15
2018.05.12
2018.08.29
2018.12.07
2018.12.14
2019.06.08
2020.01.25
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。