ロジカルシンキングブームが去ってから長いものの、ビジネスプランニングにおけるロジカルシンキングには大いなる誤解や形式に偏った理解がよく見られます。ビジネスプランニングにおけるロジカルシンキングとは何なのか?何でないのか?誤解や偏った理解を含めて概観しつつ本当に使えるやり方を明らかにしていきます。
しかし、世間には「ロジカルシンキング」というワンワードで普及してしまいました。これは非常に由々しき問題です。
ではまず、論理とは何でしょうか?
「推論」は論理だ、と思われる方がいらっしゃるでしょう。いわゆる、アリストテレスの三段論法の世界です。
ソクラテスはヒトである。
すべてのヒトは死ぬ。
ソクラテスは死ぬ。
こういった形式的に正しい推論の形を探究する側面が論理にはあります。この三段論法は例として非常にポピュラーですが、説明を試みます。
これはソクラテスの未来について、推論しています。ソクラテスは未来にどうなるであろうか?と。すると、ソクラテスはヒトに属することから推論ができるかもしれません。ヒトが未来にどうなるか?については、これまでのヒトを見ればわかります。ヒトの未来に共通するものは何か?それは死ぬことです。ヒトは死ぬ。従って、ソクラテスも人であるから死ぬ。
この形式に従えば、ある物事が属する集団のについて言えることが、その物事についても言える、ということになりますね。
これは推論ですが、全く頭は使っていません。正しい推論の形式があるというだけのことです。こんなものは思考ではない。
また、「語りえぬものについては沈黙しなければならない」と語った哲学者ウィトゲンシュタインがケンブリッジで研究した領域も確かに論理と呼ばれる領域です。
ウィトゲンシュタインは著書「論考」の中で、言語と論理について考え、その限界を定めることで、思考を定めようとしました。もしも、言語と論理の限界が思考の限界とイコールなのであれば、「語りえぬものについては沈黙しなければならない」というのもある意味でわかる面もあります。
そして、言語と論理とは何かを彼なりに明らかにし、「すべての哲学的問題は解決した」と述べます。
しかし、ウィトゲンシュタインは晩年、この議論を棄却し、「語りえぬものについて語る」試みを始めます。思考は言語や論理で語れる範囲を超えることを彼自身が認め、議論をやり直すわけです。
日々企画業務に携わっている方ならば、企画の限界は言語の表現力を超えることはおわかりでしょう。その「語るのが難しい部分をうまく語ってこそ企画」とお考えの方もいることと思います。
ぼーっとしている時に突如としてわいてくるインスピレーション。散歩している時にふと思い浮かぶアイデア。それらは言語を超えています。もしも、言語の限界が思考の限界だとしたら、これらの出来事が説明できなくなります。
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ロジカルシンキングを越えて
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THOUGHT&INSIGHT株式会社 代表取締役
THOUGHT&INSIGHT株式会社、代表取締役。認定エグゼクティブコーチ。東京大学文学部卒。コンサルティング会社、専門商社、大学教員などを経て現職。