礼節の大切さ:コミュニケイションのプロトコル

画像: photo AC: akizou さん

2017.05.30

ライフ・ソーシャル

礼節の大切さ:コミュニケイションのプロトコル

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/人間は平等だ。それぞれの人に、それぞれの尺度がある。だからといって、自分の尺度に他人を押し込めようとしてもムリ。尺度の争いになるだけ。こうならないように、内容のコミュニケイション以前に、コミュニケイションの方法、プロトコルが取り決められている。この礼節を守らないならば、だれもまともに相手にしない。/

 古代の孔子は、乱世の小国にあって、むしろプロトコルを利用することで自国を守ろうとした。つまり、プロトコルを味方にすれば、世間すべてを味方にできる。それを軽んじる大国をも屈服させることができる。それどころか、自分、自国がプロトコルの尺度と一体になり、その模範となることによって、他人、他国を実質的に従わせることができる。近代フランスの太陽王ルイ14世も、ナイフ・フォークも知らない野蛮なオレさま地方豪族どもに、宮殿で豪華絢爛たるパーティとマナーを見せつけ、われらのプロトコルに従わないなら、われらはわれらの社交の場には入れないぞ、と威圧し統制した。

 あのヒットラーですら、バカげた力づくのクーデタを放棄し、先人たちを立てつつ、まともな選挙で戦うことに方針転換。スローガンは「ヒンデンブルクに敬意を、ヒットラーに投票を」。だから、あんなやつでも、うまく首相に当選。そして、33年の最初の国会では、大仰な礼服を着て、皇太子の前でヒンデンブルク大統領に深々と頭を下げた。これによって、やつは、自分が皇太子や大統領につらなる正統な政治家であることを示した。そして、翌年、ヒンデンブルクが亡くなると、ヒットラーの手に政権が転がり込む。

 織田信長と違って、豊臣秀吉や徳川家康なんかも、同じようなプロトコル手順を踏んでいる。だから、敵たちを抑え、殺されず、天下人になれた。どこぞの総理大臣とかも、いいかげん大人になったらいいのに、と思う。自分勝手な尺度を振り回し、自分のお友だちを優先すれば、世間すべてを敵に回すだけ。いつまで同じ愚を繰り返すのやら。

 礼節は、あくまで形式的なものだ。それに従って下座に着いたからといって、自分を卑下するようなものではない。むしろ礼節を守らないならば、だれもまともに相手にしない。コミュニケイションの下地そのものが無いからだ。学生だの、ニートだの、いつまでも自意識過剰なユトリのオレさま気取りのまま、でかい口を叩くだけで、このあたりの基本的な社会常識を学んで身につけようとしなければ、社会に参加する入口の手前で、世間から拒絶されるだけ。

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。近書に『アマテラスの黄金』などがある。)

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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