概念を起こす力・意味を与える力・観をつくる力を養う『コンセプチュアル思考』のウェブ講義シリーズ
ただし、この抽象化によって生じる曖昧さは悪いものであるとはかぎりません。曖昧さをにじませることによってしか表せない深遠な本質もあるからです。例えば、「幸福」や「平和」、「こころ」「いのち」、「神」や「仏」といった概念は高度に抽象的ですが、これらはそのあいまいなにじみが大きく深いがゆえに、人間におおいなる好奇心を与え続けてきました。
◆抽象と具体の往復運動
抽象的に考えるのと具体的に考えるのとで、どちらが「よい/わるい」とか、「優れている/劣っている」ということはありません。どちらも大事です。そして実際、私たちは知らず知らずのうちにこの2つを往復しながら認知の世界を広げています。
例えば、幼少期のころを思い出してください。あるときから親に連れられて、広場のようなところで思う存分遊ばせてもらうようになります。子ども本人はその場所をよく観察し、しだいにそこがふだん食べたり寝たりする場所とは違うことを感じ取ります。そしていつしか〈公園〉という概念を頭の中に形成します。
しばらくすると、今度は少しタイプの異なった公園に行くようになります。そこの様子を一つ一つ詳しくみていくと、どうやら自分が知っている〈公園〉の中でも、特別な何かがあるように思えてきます。そして、それが〈テーマパーク〉という概念のものであることを知ります。さらにそこから、いくつかのテーマパークに行き慣れてくると、〈面白いテーマパークとはこうあるべき〉といったような自分なりの本質が見えてきます。
概念は物事をとらえる枠となり、自分なりにつかんだ本質は物事の価値を判ずるものさしになります。
ですから、いったん自分の中に概念や本質がつくられるや、物事の見え方は以前と違ってきます。次にテーマパークに行ったときには、それを観察する目も肥えてくるでしょう。その本質に照らし合わせて、あれこれ評価するようにもなるでしょう。そうこうしているうちにさらに新しい概念を獲得し、本質を深めていくという次の往復が始まることになります。
このように、私たちは事象や経験から概念をつくり出したり本質をとらえようとしたりします。また、それら概念や本質を獲得することによって、事象や経験がより有意義に立ち現れてくることになります。その意味で、具体なき抽象はやせてリアル感のないものになってしまうでしょう。同時に、抽象なき具体は散漫なものになってしまう危険性があります。その意味で、抽象と具体を大きく往復することが大事です。
最後に、抽象と具体について、概括するイメージを一枚にまとめておきます。
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
ビジネスパーソンのための新・思考リテラシー『コンセプチュアル思考』
2016.02.05
2016.02.25
2016.03.06
2016.03.14
2016.03.22
2016.04.04
2016.04.13
2016.04.20
2016.06.02
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。