人は周囲の期待や扱いに合わせて、自分のありようを変えていく。
多かれ少なかれ、人は周囲が期待するように振る舞い、周囲が予想するようになっていくものです。「おじいちゃんもお父さんも東大を出ているんだから、あんたも頭がいいんだよ」と言われると、子供はそうかと思いこみ、自信を持ち、勉強し、賢そうに振る舞います。
逆に、アホだ馬鹿だと言われると、どうせやっても駄目だと思うので、そのようになっていきます。社長さんだって、昔から社長然としていたわけではなく、社長になり、周囲からそのように扱われるようになるから、社長らしく振る舞うようになるものです。伝統芸能の跡継ぎが、子供の頃からそれなりの雰囲気をたたえているのは、血筋というよりは、周囲の期待や予想に沿うようにしているからだと考えられます。
また、人は周囲に合わせて行動します。皆がやっているから、というのが自分の行動を選択する十分な理由になります。非常ベルがなっているのに、大きな地震が起こったのに、周囲の人達が平然としているから、という理由で避難せずじっとしていたりするのは典型例です。不良集団に入れば不良のような行動をとるようになり、不良っぽい見た目になっていきます。
頑張ろうというチームに入れば、日々努力しますが、だらけたチームに入ればサボリ癖がつきます。人には誰しも、孤独を避けたいという心理が働くからかもしれません。いずれにしても、本人の才能というよりは、どのような環境に身を置くかで、行動や成果は大きく変わるのです。
「最近の老人は元気だ」というのも、このような傾向から説明できます。年寄りの割合が増えてくるということは、年寄りが珍しくなくなるということ。自分のような年齢や見た目の人達がたくさんいるわけなので、「老いた」という実感が乏しくなります。周囲の人達にしたって、頻繁に目にする年寄りが昔と同じような尊敬すべき、大切にすべき存在とは映りませんので、だんだんとその扱いが軽くなっていくのは自然なことです。
そして、その扱いの軽さに対応するように、言動が軽くなっていきます。アクティブシニアなどという前向きな言葉を自分のことだと考えてその気になり、「まだまだ、お若いですね」と言われると、本当にそう思いこみます。昔に比べて年寄りが若々しく元気なのは、老人扱いされなくなった結果、老人だという自覚がなくなっているからだと考えられるわけです。
「人は、周囲が期待したようになる(期待したようにしかならない)。」「人は、周囲と同じように振る舞う(自分と周囲は同じだと思いたい)。」という二つの傾向があるとすれば、組織や職場でも同じようなことが起こっているはずです。彼はこういうタイプだ、彼女の能力はこの程度だと決めつける。そうすると、本来持っている可能性に本人も周囲も気付くことなく、周囲が思っているように振る舞い、そのようなレベルで終わってしまう。頑張ろうと気合を入れていたのに、周囲が気を抜いているから、"浮く"のは嫌だと考えてだんだんと周囲に合わせるようになる。
こんな風に成長したいと思って勉強しているのに、周りはまったく勉強しないから、徐々に馬鹿らしくなってきて、いつかサボるようになってしまう。そんなことが起こっているに違いありません。採用や研修はいずれも重要な課題ですが、その成否は組織風土や職場環境次第でもあるということです。
組織というもの
2011.08.02
2015.08.07
2016.01.15
2016.01.29
2016.02.12
2016.03.11
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2017.09.13
NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。