上越教育大学の西川純先生が提唱する『学び合い』という考え方があります。 教育現場(主に小学校)にて、教育手法として活用されることが多いですが、考え方はビジネスシーン、そして人生に応用できることもたくさん。 本文では学校現場での『学び合い』を取り上げます。ビジネスにも応用できる考え方を皆さんで感じとってください。
まず、子どもを信頼する。
すると、見違えるほどの自己解決能力を、「子どもたち」という「集団」で発揮するようになる。
すると、子どもが信頼できるようになる。
これがまた、子どもたちの自己解決能力を伸長するという良循環を生む。
これが『学び合い』の、先生の立場から見た、本質的な素晴らしさの一つです。
もうひとつ、先生側の素晴らしいところ。それは
先生の〝余計な”肩の力を抜けること
教えなきゃいけない…がなくなります。
授業中は、(「放擲」ではない)「自由」が子どもたちに与えられ、結果、自由な時間が先生に作られます。
物理的にも、精神的にも、肩の力を抜けることで、先生自身が元気になります。
僕はツイッターでほぼ毎日つぶやいています。
毎日1同言 「大人が明るく前向きに、働くことを楽しんでいる(=何も考えないのではなく、不安と対峙し少しずつ解決することで未来を作っていく)姿を見せるのが、子どもたちへの一番の教育だと思っています。何かを“教える”より、ずっと」
先生が、子どもたちに、この教育を与えられるんです。
もちろん、信念を持ち、心が強く、どんな制度的・社会的制約があろうとも、子どもたちをグイグイ引っ張っていくスーパーな先生もいらっしゃいます。教育のあるべき論を唱えれば、こちらが正解なのかもしれません。
しかし現実、全国に(大学を除いて)100万人規模で配置しなければいけない「先生」という職種全員に「あるべき姿」を求める、という考え方が、現実に即しているとは思えません。
(ゆとり教育の失敗も、とどのつまりはここでしょう)
地域コミュニティがなくなり、躾がされていない家庭も散見するようになった昨今、学校では、学校教育のみならず、家庭教育や社会教育の一端の任務を背負わないと、そもそもの学校教育が為し得ない環境にあるところが大半でしょう。
文科省や教育委員会への提出書類も増えており、プライベートが皆無になった人も増えているようです。
そんな中、「子どもを教え“なければいけない”」という考え方は、益々先生の精神を追い込み、多忙とあわせ、子どもたちに笑顔を見せられる先生像を形成しにくい方向へ導いてしまいます。
「いいじゃん、子どもたちに任せようよ」
これだけで、先生は「ほっ」となります。その気持ちが笑顔を生みます。
その笑顔が、子どもたちに伝播します。それが子どもたちの自主性をさらに産みます。
ここに良循環が生まれるのが、『学び合い』の本質の1つだと思っています。
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教育とビジネス
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