「博多 一風堂」など、日本のラーメン界を牽引してきた河原成美さん。2018年に経営の第一線から身を引くという河原さんは、どのような人物に「一風堂を継いでもらいたい」と考えているのだろうか? [嶋田淑之,Business Media 誠]
「若いころは仙人かお坊さんになりたかった」という河原さんは、「地位も名誉もつまらん」「食べることにも執着したくない」「何事においても一切の執着を捨てて精神の輝きを得たい」とずっと思い続けてきたそうだ。
河原さんはこうも言う。「自分という存在は、社会とか自然とか、自分を取り巻くあらゆる存在と決して切り離された存在などではなくて、あくまでも、その一部であり、一体なのだ」と。
本連載をお読みくださった方々には既にお分かりの通り、河原さんのこうした世界観・人生観は、日本伝統の主客一如(しゅきゃくいちじょ)の思想そのものである。仏教由来のこの思想は概ね、次のように考える。
「自分と自分を取り巻く環境は、未分化にして不可分一体の存在である。自分自身も自分の会社も、社会はもとより悠久の歴史や大自然の一部であり、その中で『生かされている』存在なのだ。従って、どんな事情があろうとも、自然を壊したり、大地の恵みを粗末にしたり、自分を取り巻く人々を傷つけてはいけない。この世の中で『生かしてもらっている』ことに、日々、感謝を捧げ、自分を取り巻くあらゆる存在のために貢献することが何よりも大切である」と。
これは、日本の歴史の中で数百年、あるいは千年を越えても今なお繁栄し続ける老舗企業に共通して見出される経営哲学として、筆者が近年注目しているものである。自己を取り巻く環境との一体化、その一部としての自社という立場をとる以上、環境変化に即して、自分や自社もまた変わり続けなければいけないことになる。
よって主客一如型経営は、その経営実体において不変貫徹・革新断行を導き出すことになる。まさしく河原さんの経営哲学そのものであろう。
力の源カンパニーの戦略課題とは?
すでに述べたように主客一如の経営哲学をもった人材は、筆者の調査・取材で見る限り、上記のような日本伝統の老舗企業だけでなく、まったく無関係な新興企業の若い創業経営者たちに最近、見られるようになってきている。彼らは、決して主客一如ということを意識してそうしているわけではなく、むしろ、日本人のDNAに刻まれた遠い記憶をそれと知らずに呼び起こしているかのようである。
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
「博多 一風堂」河原成美物語
2009.10.01
2009.09.30
2009.09.24
2009.09.18
2009.09.16
2009.09.11