俺たちひょうきん族で暴れるビートたけしに、明日のテレビの笑いを見い出し。「その男凶暴につき」「ソナチネ」で、監督・北野武に痺れた。 そんな1人のファンとして、愛を込めて「フリージャーナリスト北野武」にいちゃもんをつけたい。
起こっているニュースに対して、その異常性を喧伝し、自分の体験を一般化して語った方が手間がかからないことはわかる。
・・・が、本当にそうなのかどうなのか。状況を分析するという、地味でも大事な行為を省略して、テレビで扇動に走ってしまうというのは、いかがなものか。
それは、ジャーナリストの活動ではない。テレビタレントとしての活動だ。
現実に苦しんでいる青少年を救済するにはどうすべきか?
日々、現実に疑いを持ち、
現場まで足を運んで、ちゃんと論拠を見つけて・・・
レポートをして、その発表の場を探り続ける。
その発する意見の責任と背景を、
ちゃんと背負うのがジャーナリストとしての第一の資質である。
ウィキペディアにも『ジャーナリストの中でも、特に記事執筆のために必要なデータ収集データを専門とする人間を「データマン」、そしてデータマンの集めてきたデータを元に記事を執筆する人間を「アンカーマン」と呼ぶ。いわばデータマンはアンカーマンのアシスタン的な役割を果たしており、多くのジャーナリストはまずデータマンとして経歴をスタートし、経験を積んだ上でアンカーマンとなるのが一般的である』とある。
テレビの視聴率を上げるために、
何でも好きな意見を発してくださいと招かれるフリージャーナリストなどいない。
思ったことを、思った通りに意見できるのなら、
ジャーナリストとは、いったい何なのか?
映画監督・北野武の映画には、
人間とその営みに対する疑問と冷静な眼差しがある。
映画表現を通じたそれは立派なジャーナリズムになっている。
複雑で、わかりにくい・・・理解を超えた人間・北野武の生き様そのものが、
ジャーナリストの対象となりえるし、テレビでは消費し尽くせない度量がある。
北野武は、フリージャーナリストではない。
ジャーナリストの、語り尽くせない良い対象なのである。
なので『テレビタックル』での北野武は、成立している。
大物政治家と議論できる論客として、
その番組そのものがジャーナリズムの対象となっているから・・・。
しかし、『情報7days ニュースキャスター』で
フリージャーナリストとして発言するピンの北野武は、
あまりに安易で魅力がない。
「一視聴者としてものを言わせてもらう」意見は、
その芸風故に、常にわかりやすく、大衆受けするものとなる。
その短絡的わかりやすさは、
マス的で、消費的で、あまり本質的な世直しには、繋がらない。
「フリージャーナリスト北野武」は、テレビに消費されるだけだ。
できることなら、次週の番組から・・・
かぶり物を身につけて、安住紳一郎アナウンサーをいじくりまわして欲しい。
その状況そのものが、
ジャーナリストの対象となるような番組に生まれ変わって欲しい。
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有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役
昭和30年代後半、近江商人発祥の地で産まれる。立命館大学経済学部を卒業後、大手プロダクションへ入社。1994年に、企画会社ペーパーカンパニーを設立する。その後、年間150本近い企画書を夜な夜な書く生活を続けるうちに覚醒。たくさんの広告代理店やたくさんの企業の皆様と酔狂な関係を築き、皆様のお陰を持ちまして、現在に至る。そんな「全身企画屋」である。