チャンスをつかむ人とつかまない人、あるいは、チャンスをつかめる人とつかめない人について引き続き考えてみたい。
両者の費用の支払いを受けて得をするのは両者の周辺にいる人々である。周辺にいる人は20(10+10)の得をすることになる。
このように考えるとチャンスをつかむ行動によって確実に儲かるのはチャンスをつかもうとする当事者ではなく、その周辺にいる人々ということになる。
しかし、チャンスをつかもうとする人がいなければその周辺の人々が恩恵を受けることはない。チャンスをつかむ行動自体が報われないということが一般的に認識されると、誰もチャンスをつかもうとしなくなってしまう。その場合、誰も損をしない代わりに、誰も得をしないことになる。それでは適切な資源配分は行われない。そこに創意や工夫は生まれない。経済、社会における発展は望めないだろう。
チャンスをつかむ活動が奨励されなければ、社会は成り立たない。社会が成立する条件は、誰かがチャンスをつかもうとすることである。チャンスをつかんでチャンスからの直接的な利益を得ることが理想的だが、チャンスの対象からの直接的な利益ではなく、周囲が間接的に恩恵を受けることが多い。挑戦者の周辺で見守る人々が間接的な恩恵を受けていることは多い。
利益はチャンスをつかんだ人、チャンスをつかもうとする人、チャンスをつかもうとしない人の順に多く配分されないといけないだろう。しかし、チャンスをつかもうとする人の実際の利益は少ないものである。それは挑戦者にとっての試練となる。
【V.スピリット No.47より】
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