/哲学は、もともと語るものではなく、生き方そのものです。だから、彼らの歴史上の生き方を見れば、彼らの思想もわかりますよ。とくに記録にない女性たちの人生を理解するには、実際の歴史から学ぶことが大切です。/
22.11. 閉じ込められた女性たち:16-18C
ルイ十四世(1638-43=1715)のヴェルサイユ宮殿の建築家の裕福な息子、聖職者のシャルル・ド・レペ(1712-89)は、宮殿とパリのスラム街との対比に心を痛めていました。そこで彼は、身振り手振りでコミュニケーションをとる耳の聞こえない双子の姉妹を見て驚きました。彼は、自分の莫大な財産を投じて、最初の無料聾学校を設立し、彼らの手話を体系的に発展させました。ルイ十六世(1754-74=92)の10か国語の通訳を務めたヴァランタン・アユイ(1745-1822)もまた、ホスピスの盲人たちが祭りで道化の帽子をかぶせられてからかわれているのを見て衝撃を受けました。彼は点字の原型を発明し、ルペの助言とルイ十六世の支援を受けて、1785年に最初の無料盲学校を作りました。
「都市は著しく発展したが、社会から疎外された多くの人々が取り残されていた」
貴族やブルジョワ階級の女性たちは、働く必要もなく趣味や贅沢に耽っていましたが、かならずしも幸せではありませんでした。彼女たちの人生は、裕福な男性と結婚できるかどうかにかかっていたため、男子以上に、女子は宗教系の女子学校で礼儀作法や教養を教え込まれました。しかし、結婚は、単なる財産相続の手段にすぎませんでした。そのため、貴族やブルジョワ階級では、男女ともに多くの愛人や愛妾を公然と持ち、妻や夫もそれを当然のこととして受け入れていました。かれらは、愛人や愛妾に爵位や邸宅を惜しみなく与えることさえありました。庶民にとっても、妻や夫が王族やブルジョワ階級の愛人や愛妾になることは、良い生活を送るチャンスでした。
「すこし変だけど、これも男女平等かな」
それはまちがいです。貴族やブルジョワ階級の男たちは、妻や愛妾が愛人を持つことには無関心でしたが、女性にも相続権がある以上、けして彼女たちを手放そうとしませんでした。男たちが大金を費やした女たちは、男たちの財産を隠し、税金を逃れるためのもう一つの金庫であって、女性自体も男たちの所有物とみなされていました。彼女たちは、隔離され、それぞれの邸宅に閉じ込められていました。たとえ財産があっても、それを自由に処分したり、活動に使ったりすることは許されませんでした。
「中世では、富裕層は財産を修道院に隠したが、近代では、愛人の宝石の中に隠したのか」
このように、庶民の妻や独身女性労働者だけでなく、貴族やブルジョワジ階級の女性たちも孤立していました。それがかえって彼女たちをより衝動的で積極的な行動へと駆り立てました。自由を求める女性たち、とくに政略結婚を嫌うブルジョワジ階級の娘たちは、遺産と拳銃を携えて単身で新大陸へ渡り、自分の事業を始めました。それほど大胆ではなかった女性たちも、邸宅で私的サロンを開き、当時の知識人たちを集めました。こうした活動は、ひそかに革命運動を後押ししました。
「十八世紀の男たちの男尊女卑に抵抗する女たちも現れたんだね」
インドや中国との貿易に失敗した英国は、新大陸の植民地に対する課税を強化しました。新大陸の主婦や女性商人たちは、「自由の娘たち」として英国製品のボイコット運動を起こし、国産品の普及を促しました。彼女たちの経済的変革は、アメリカ独立を現実的なものにしました。同じころ、田舎町の未亡人オランプ・ド・グージュ(1748-93)はパリに出て、有力な男たちが集まるサロンのクルチザン(高級娼婦)となりました。男たちに支援され、彼女は黒人奴隷制に抗議する小説や戯曲を執筆し、おそらく最初の人権活動家となりました。しかし、フランス植民地から利益を得ていた王族やブルジョワ階級の男尊女卑的な男たちは、彼女を恐れ、憎み、じゃまをしました。
「男たちの妄想では、女は美しく、優しく、しかし弱く、愚かであるべきだ、とされていたんだろう。でも、それはおそらく多くの女性が男性支配社会で生きるために、そうした振る舞いをせざるをえなかっただけだ」
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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