第22講 人々の自由と女性の地位(後半)

2026.04.14

ライフ・ソーシャル

第22講 人々の自由と女性の地位(後半)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/哲学は、もともと語るものではなく、生き方そのものです。だから、彼らの歴史上の生き方を見れば、彼らの思想もわかりますよ。とくに記録にない女性たちの人生を理解するには、実際の歴史から学ぶことが大切です。/

(承前)

22.08. 投資ブーム:1700年頃

 戦争が早く終った南フランスでは、ユグノー派の小規模事業者たちが機械式時計などの新技術を実験していました。それは、航海における経度測定に不可欠なものでした。海外貿易は、税収や戦争よりもヨーロッパに多くの富をもたらしました。インドや東アジアだけでなく、新大陸やアフリカにも大きな可能性が秘められていました。新大陸産のジャガイモは荒廃した農地を救い、貧しい人々を支えました。その後、トマトや唐辛子がヨーロッパ人の食の好みを劇的に変えました。また、アフリカにおける激しい部族間紛争は、安く供給できる消耗品として大量の黒人奴隷を売り出し、新大陸における鉱業や砂糖、タバコ、綿花などの新事業ための十分な労働力となりました。

「さあ、近代がやってきたぞ」

 フランスの太陽王ルイ十四世(1638-43=1715)は、庭園で珍しい植物を育て、贅沢な料理を味わい、建設中の壮麗なヴェルサイユ宮殿で新たな臣下たちに自らの作法を押し付けました。しかし、1685年に突如、ナント勅令を撤回し、カトリックを強制したため、ユグノー派は資金と技術を携えて、英国やオランダ、スイスに逃亡しました。一方、新ロンドンを近代化した後、英国鄕士たちは、1688年の名誉革命で絶対王政を打倒し、オランダから穏健派のウィリアム三世(1650-89=1702)を招聘しました。

「ルイは、いかにも太陽王で、自己中だったな」

 ウィリアム三世は、フランス産のブランデーを禁じ、オランダ生まれのジンの製造を開きました。ジンは、質の低い大麦を原料とし、蒸留して針葉樹で風味付けした安価で強いアルコール飲料で、都市部の下層階級の間で絶大な人気を博しました。一方、国際戦争、産業革命、株式ブームの時代において、ブルジョワ階級の人々は、コーヒーハウスやメイソンロッジに集まり、活発に情報交換を行いました。かれらは、市場の共通認識が物事を決定する、と気づき、自分の考えではなく、他者の考えに基づいて行動しました。その一方、ひとと違う、変な行動をする者は、政府に反対する自由主義者でさえ、非理性的な狂人とみなされ、精神病院に収容されるべきだ、とされました。

「ヒュームやトーマス・リード、アダム・スミスも、常識を社会基盤としようと試みたけれど、かれらは理性の定義を狭め、それから外れる者を狂人として排除してしまった」

 王立協会が集めた世界の情報と技術、新興ロンドンにおける紳士階級の地代収入、そしてオランダとの協力関係が、英国の投資ブームを加速させました。ユグノー派移民も、1694年、自分たちの資金でイングランド銀行を設立し、信用を拡大させました。東インド会社は、その融資を受けて綿花貿易を拡大し、500%もの配当を出しました。さらに、海外進出や新発明の開発のために、さまざまな株式会社が建てられ、巨額の資金を集めました。スイスの銀行なども、資金を出し合い、イギリスの企業に投資しました。

「ルイ十四世は、ユグノー派とともに近代化の扉の鍵を英国に譲ってしまった」

 重要なのは、新領主や紳士だろうと、オランダ人やユグノー派、その他の外国人だろうと、だれでもカネはカネで、配当は平等だった、ということです。これこそがフリーダムでした。企業の経営者の国籍も問われませんでした。自由経済は、彼らにコスモポリタンとしてのリバティ、未来への切符を買う権利を与えました。

「でも、コスモポリタンとしてのリバティを与えられたのって、富裕層だけでしょ」

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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