/有限財の価格は、その財貨の直接有用性の多少を表示せず、所有権移転に伴って買い手側が負担する社会的コストにすぎない。/
とはいえ、広く浅く、売りたい人、買いたい人が、どちらにも偏らず多様にいてこそ、健全に市場は流動性を確保して安定する。外に買いたい人がいないのに、価値があると思いこんでいる中の人が買い増しているだけだと、価格は維持されるが、目に見えないかたちで市場の流動性は失われていっている。これは、価格が維持されても、じつはその財貨の価値を低減し、保有リスクを増大していっている、ということだ。
それゆえ、第三に重要なこと。価格は、財貨の価値(直接有用性)とは関係が無く、過去の売買費用、所有権交代の社会コストにすぎず、したがって、あしたの売買も保証しない、ということ。価格がいくらであれ、外からカネを持って買いに来る人がいるとはかぎらない。また、いかに安くても、だれかその所有権交代の社会コストをカネとして実際に準備できるか、が問われる。現金を持っていればともかく、ほかから資金を調達してくるとなると、時間差を生じ、その間に暴落する危険性がある。
高度経済成長期、団塊の世代に向けて、日本中で住宅地が開発された。バブル期には、山奥の崖地までが別荘地として売り出された。彼らは、これを「資産」だと思った。しかし、そんな人里離れた住宅地や別荘地は、維持費ばかりがかかり、買い手もつかず、無人の廃屋だらけになって、いよいよみんな逃げ出して、山野に戻っていってしまっている。そして、その同じ愚を、いま、そのジュニア世代が株で繰り返している。
解説
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。